顕子女王

顕子女王

徳川幕府4代将軍・徳川家綱の御台所(正室)。伏見宮貞清親王の娘。幼名は浅宮(あさのみや)、法名は高厳院(こうげんいん)。姪の理子(まさこ)女王は、8代将軍・吉宗が奇襲藩主時代に迎えた正室。17歳の時に家綱と結婚し、2年後に大奥に入ったが、子のないまま乳がんのため37歳の若さで他界した。

反応