飯塚染子

飯塚染子

5代将軍・徳川綱吉が寵愛した側用人として知られる甲斐国甲府藩主・柳沢吉保の側室。出自については諸説あり、柳沢家家臣の娘とも公家の娘とも。もとは吉保の生母の侍女で、吉保から寵愛され側室となり、吉里を生んだ。染子は才色兼備で知られ、参禅修行を記録した『故紙録』を著したほか、多くの和歌も残す。墓所は東京都中野区にある龍興寺。染子といえば、5代将軍・綱吉に見初められ愛妾となった、吉里はじつは綱吉の隠し子である、などさまざまな俗説があるがいずれも真偽は不明。綱吉が吉保邸を60回近くも訪れていることや吉保が端役から大老格にまで破格の出世をとげたことなどからこうした噂が生まれたと考えられる。

反応