高坂甚内

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江戸時代前期の盗賊、忍者。苗字は向坂、勾坂、向崎とも。江戸吉原遊郭の創始者・庄司甚内、古着市をしきった鳶沢甚内とともに「三甚内」と呼ばれる。もとは甲斐武田家に仕えた甲州流忍者の頭領。武田家滅亡後、江戸へ出て関東を支配するようになった徳川家に協力し江戸の治安回復に尽力した。しかし、やがて甚内が関東一円の盗賊をまとめるようになると幕府は甚内を危険視するようになり、ついに追っ手をかける。甚内は10年もの間逃れ続けたが、1613年(慶長18)、ついに捕縛され、市中引き回しのうえ浅草鳥越の刑場で磔に処された。ちなみに、甚内が捕縛された裏には「三甚内」のひとり鳶沢甚内の密告があった。なお、甚内は捕縛された時、瘧(おこり、マラリアのこと)をわずらっていたといわれ、処刑の際に「瘧にかかっていなければ捕まることはなかった。この世に長く魂魄を留めるから、瘧にかかって苦しむ者は私に祈れば治してやろう」と言い残したという。そのため、甚内をまつった浅草の甚内神社は瘧に利益のある神社として知られるようになり、甚内は瘧除けの神となった。甚内の経歴については不明な点が多く、剣豪・宮本武蔵の弟子だったが破門されたともいわれるが真偽は不明。また、怪談『番町皿屋敷』ではお菊の父親という設定。

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