高橋定

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高橋 定(たかはし さだむ、1912年(大正元年)12月 – 2015年(平成27年)12月25日)は、日本海軍士官、艦上爆撃機操縦士。元海上自衛官、海将。

1912年(大正元年)12月、愛媛県松山市で6人兄弟の3男として生まれた。松山中学では剣道は初段、サッカーではキャプテンを務め四国大会で優勝した。医者志望であったが、兄の勧めで1930年(昭和5年)4月、海軍兵学校に61期生として入学し、1933年(昭和8年)11月、卒業した。「磐手」で遠洋航海を行った後、「加古」、「多摩」乗組みを経て、1935年(昭和10年)10月、飛行学生として霞ヶ浦海軍航空隊、1936年(昭和11年)12月には艦爆の延長教育課程を大村海軍航空隊で受け、1937年(昭和12年)4月、佐伯海軍航空隊に配属された。

1937年(昭和12年)7月7日に蘆溝橋事件が発生すると、直後に編成された第十二航空隊に配属され、7月12日に隊長江草隆繁大尉のもと九四式艦上爆撃機で大連近郊の周水子基地に進出した。8月には戦火は上海に飛び火し高橋ら12空は9月5日に占領、造成を終えたばかりの上海公大基地に移動した。移動当初は上海付近制圧の陸戦協力、その後南京空襲に当たった。

同年12月、霞ヶ浦空教官、1938年(昭和13年)12月、「龍驤」分隊長を経て1939年(昭和14年)10月20日、第十四航空隊艦爆隊長となり珠海三灶に転属。南支作戦が始まり11月11日には海口、1940年(昭和15年)初めには南寧に進出し、貴陽攻撃などに従事した。

1943年ブイン基地にて
生誕 1912年12月
愛媛県松山市
死没 2015年12月25日
所属組織 大日本帝国海軍
警備隊
海上自衛隊
軍歴 1933 – 1945(海軍)
1953 – 1954(警備隊)
1954 – 1970(海自)
最終階級 海軍少佐(日本海軍)
海将(海自)
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