高橋徹

高橋徹│無料動画│showa 00173 m

驚異的なスピードでトップレーサーの仲間入りをし、その将来を嘱望されたが事故により夭折したレーシングドライバー。中学生の時にレーサーになることを夢に見、1979年、西日本サーキット(後のMINEサーキット、現・マツダ美祢自動車試験場)のFL500のシリーズ戦に参戦、決勝4位の成績でデビューした。それからわずか3年半で下級カテゴリーを通過し、全日本のトップカテゴリーであるフォーミュラ2に参戦するようになった。1983年、全日本F2選手権第一戦の公開練習では強豪を相手に新人の高橋が最速タイムを記録、さらに本戦でも中嶋悟に次ぎ2位という成績を上げ、一躍トップドライバーの仲間入りを果たした。しかし、同年10月23日に行われた富士GCシリーズ最終戦「富士マスターズ250キロレース」で悲劇は起きた。トップを走る星野一義を追走していた高橋は、2周目の最終コーナーでスピン、車体は観客席フェンスに突き刺さるようにクラッシュし、医務室に運ばれたものの高橋は死亡した。事故に巻き込まれた観客1人が死亡、1人が重症、2人が軽症という大事故であった。

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