鮮于丹せんうたん

鮮于丹せんうたん

鮮于丹といい、字も出身地も不明である。219年、呂蒙に付き従って、徐忠、孫規らとともに長沙、零陵、桂陽の三郡を奪還した。222年、劉備が進攻してきたので、陸遜に付き従って、蜀軍を撃破した。223年、賀斉に付き従って、糜芳とともに魏に降った晋宗を攻め、生け捕りにした。226年、魏の曹丕が逝去したので、これに乗じて孫奐に付き従って江夏に進攻して、魏軍の退路を絶って撃破した。その後、高城を落とした。『三国志演義』には登場しない人物であるが、演義には淳于丹という武将が登場する。夷陵の戦いに参加したときの行動などが酷似していることから、モデルになった人物か、誤字表記による同一人物の可能性がある。

反応