鳥飼恒男
鳥飼 恒男(とりかい つねお、1895年(明治28年)1月13日 – ?)は、日本陸軍の軍人。陸士29期、陸大専科3期。最終階級は大佐。
鳥取県東伯郡出身。
旧制中学を経て陸軍士官学校に入学。1930年代は、朝鮮半島茂山、倉吉市での勤務。その後、1941年から南京で江寧部隊に所属。江寧部隊とは、支那派遣軍総司令部により設立され、大学出身者の将校を教育する部隊であった。
その後は1943年に第138連隊長。
太平洋戦争では、インドシナ半島ビルマ方面で、第15軍司令官牟田口廉也中将が建てた最大の作戦だったインパール作戦(ウ号作戦)に参加。1944年3月、第31師団佐藤幸徳師団長隷下第31歩兵団長宮崎繁三郎少将所属中突進隊第138連隊長として出陣。左突進隊は、第31歩兵団長宮崎少将が、右突進隊は第138連隊第3大隊の柴崎大尉が率いていた。
1932年(昭和7年)4月当時の鳥飼
朝鮮半島羅南にて長男欣一と |
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生誕 |
1895年(明治28年)1月13日 大日本帝国、鳥取県 |
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死没 |
不明 日本 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1917年 – 1945年 |
最終階級 | 大佐 |
除隊後 | 保険会社勤務 |
反応