鷹司輔煕

鷹司輔煕

孝明天皇時代の関白。父はやはり関白である鷹司政通。
右大臣時代に三条実万らとともに、戊午の密勅を孝明天皇から引き出すよう宮廷内で運動したため、安政の大獄で失脚、謹慎となる。その後、復帰し関白に就任するも、尊王攘夷派が宮廷内を掌握していた幕末の混迷期に、まったくといっていいほど政局に関与できず、またも失脚した。その後も、禁門の変において久坂玄瑞が鷹司邸で自害したことで、あらぬ嫌疑を掛けられたりと、政局において存在感を存分に発揮することが出来なかった。

反応