龍造寺伯庵

龍造寺伯庵

江戸時代前期の武士。「伯庵」は通称で、名は季明(すえあき)。御家騒動「鍋島騒動」の中心人物のひとり龍造寺高房の庶子で、「龍造寺家嫡流」を自称した。伯庵は高房の子と考えられているが、生母の身分が低かったため嫡男と認知されておらず、高房もその存在を知らなかったといわれる。父・高房が、佐賀藩の実権を鍋島家から奪還するという悲願を果たせず乱心の末に自害し果てると、伯庵は龍造寺家の後継者を自称し御家再興運動を起こし、3代将軍・徳川家光に執拗に再興を訴えた。しかし願いはかなわなかった。それどころかあまりに執拗な伯庵に幕府も手を焼き、ついに会津藩の保科正之にお預けとなった。御家再興の夢はやぶれたが、子孫は会津藩士となり明治を迎えた。

反応