TARU

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TARU(タル、1964年8月23日 – )は、日本のプロレスラー。本名:多留 嘉一(たる よしかず)。兵庫県神戸市出身。

コンタクトレンズで目つきを鋭くして強面の顔付きに上半身にトライバルのタトゥーを施した悪役集団「VOODOO-MURDERS(以下「VM」)」の首魁として全日本プロレスを中心に活動していた。

元々は地元の神戸を拠点に空手家として活動していたが、1995年1月17日の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)がきっかけとなりプロレス転向を決意する。1996年にWARで武輝道場の一員としてデビューした。その後メキシコへ渡り、闘龍門でブレイク、現地でルードレスラーとして活躍した。その後しばしばWCWへの遠征も果たしていた大島伸彦(現:CIMA)、諏訪高広(現:SUWA)、藤井達樹(現:ドン・フジイ)と合流し、CRAZY-MAX(以下C-MAX)の一員となった。日本帰国後に武輝道場との縁を切る。以後2004年11月の解散まで「C-MAXのマネージャー兼良き兄貴分」という立場になった。団体最重量のTARUと最軽量のストーカー市川との“試合”は、団体の迷勝負であった。しかし、C-MAXはライバルチームが結成される度にベビーフェイス色が強くなっていき、TARUも外見とファイトが一致しなくなった。

2004年をもってDRAGON GATEを退団しフリーランスとなった。全日本プロレスでジョニー・スタンボリー、近藤修司、”brother”YASSHIらとVMを結成、凶器攻撃・罵倒文句などの行動で王道を脅かす存在となり、ヒールとして高い評価を得た。

プロフィール
リングネーム TARU
多留 嘉一
本名 多留 嘉一
ニックネーム 殺戮用心棒
身長 185cm
体重 110kg
誕生日 (1964-08-23) 1964年8月23日(55歳)
出身地 兵庫県神戸市
所属 MAKAI
スポーツ歴 空手
トレーナー 北尾光司
デビュー 1996年
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