谷干城

土佐藩士。明治維新後の、熊本鎮台司令長官として有名。一度、その職を退いたが、西南戦争前に「谷ならば」と、最激戦が予想された熊本県の鎮台司令長官を要請され、返り咲く。谷干城は、中央政府の期待に応え、東京を目指し鹿児島から攻…

中岡慎太郎

土佐藩士。陸援隊隊長。坂本龍馬と京都の近江屋で会談中に、襲撃される。

坂本龍馬

土佐藩士。のちに脱藩。明治維新に大きな影響を与えた志士。

山内容堂

土佐藩15代藩主。幕末の四賢候の一人。酒と詩をこよなく愛し、「鯨海酔侯(げいかいすいこう)」とみずから名乗っていた。

杉梅太郎

吉田松陰・杉文の兄にあたる(杉百合之助の長男)。苛烈な言動を続ける弟・松蔭のよき理解者として、松蔭が野山獄に投じられた際も厚く手助けをした。明治2年、民政に従事したことを評価され、藩主より民治の名を与えられる。吉田松陰亡…

杉寿

吉田松陰の妹であり、杉文(楫取寿子)の姉にあたる。楫取素彦と結婚し二児をもうける。長男・篤太郎は、小田村希家を名乗り小田村家を継ぎ、次男・久米次郎は、楫取道明を名乗り台湾の小学校(芝山巌学堂)で教師を勤める。楫取道明は芝…

楫取素彦

吉田松陰の妹・杉文の夫。小田村伊之助ともいう。同世代の吉田松陰の良き理解者として松蔭の活動のサポートにあたり、明治になってからは松蔭の兄・杉民治とともに、松陰の顕彰のために尽力した。明治時代は群馬県令、元老院議官を歴任。

杉百合之助

長州藩士。号は恬斎。字は伯兪。松下村塾にて後進を育成した思想家・吉田松陰や、久坂玄瑞・楫取素彦の妻である杉文らの父である。

杉文

別名、楫取美和子(かとりみわこ)。吉田松陰の妹。同じ長州藩の松下村塾四天王・久坂玄瑞に嫁ぐ。久坂玄瑞18歳、文が15歳のときのことであった。その後、夫の久坂玄瑞は激動の幕末を動かす中心人物のひとりとして存在感を増すも、薩…

寺島忠三郎

諱は昌昭、字は子大。変名は作間忠三郎など。 吉田松陰の松下村塾で、高杉晋作や久坂玄瑞らとともに学び、英国公使館焼き討ちを行なうなど、尊王攘夷の志士として活動する。 禁門の変で久坂玄瑞とともに自刃した。

遠藤謹助

長州五傑(長州ファイブ)のひとり(ほか、伊藤博文・井上馨・井上勝・山尾庸三)。 明治維新後は、官僚として一貫して造幣局に勤める。後に造幣局長。

山尾庸三

長州五傑(長州ファイブ)のひとり(ほか、伊藤博文・井上馨・井上勝・遠藤謹助)。 1863年、イギリスに留学し5年間工学を学ぶ。帰国後は、明治新政府にて工学関連の重職を歴任(工部権大丞・工部少輔、大輔、工部卿)。 また法制…

井上勝

通称を弥吉。 長州藩の命により、伊藤博文、井上馨らとともに藩士5人(長州ファイブ)でイギリスに留学。 伊藤博文・井上馨は、長州藩と諸外国の関係悪化に危機感をおぼえ緊急帰国するが、井上はそのまま残り、約5年間、鉄道技術・鉱…

赤根武人

正式には赤禰武人と書く。 若い頃から、僧侶・月性、松下村塾の吉田松陰、望南塾の梅田雲浜らに学び、尊王攘夷思想に傾倒。高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤俊輔、井上聞多らの英国公使館焼き討ちに加わるなどした。1863年、奇兵隊の第三代…

野村靖

吉田松陰門下の松門四天王のひとり・入江九一の弟。松門四天王はほか、久坂玄瑞・高杉晋作・吉田稔麿)。 明治維新後は岩倉使節団の一員として渡欧。神奈川県令・駅逓総監・逓信次官を歴任し、第2次伊藤内閣では内務大臣を、第2次松方…

おうの

萩城下の油商の娘といわれているが、水戸浪士の娘という説もある。 下関で芸妓をしていたところ、高杉晋作と出会い妾となる。 高杉が長州から逃避行をする際、正妻・雅子ではなくおうのを連れて行ったといわれ、高杉から溺愛されていた…

高杉雅子

長州藩士・高杉晋作の妻。16歳で嫁ぎ、20歳で長男・東一(とういち、または梅之助)を産む。 奔走する高杉は家にいることはほとんどなく、7年の結婚生活のうち、共に暮らしたのは1年藩ほどであったという。

鳥尾小弥太

長州藩士。奇兵隊に入隊。戊辰戦争では、鳥羽伏見の戦いを皮切りに、奥州各地で戦う。

時山直八

長州藩士。吉田松陰の松下村塾門下生。奇兵隊参謀として、禁門の変や一連の長州征伐で活躍。北越戦争では、天才指揮官・立見尚文率いる桑名藩と戦闘。戦死する。

前原一誠

長州藩士。吉田松陰の松下村塾門下生。明治維新後の内乱、萩の乱の首謀者としても知られる。

三吉慎蔵

長州藩士。坂本龍馬が寺田屋で襲撃を受けた際に一緒にいたことで有名。得意の槍術で龍馬とともに応戦。寺田屋をともに脱出した。

広沢真臣

長州藩士。通称は広沢金吾、広沢兵助。維新十傑のひとり。明治4年に何者かに暗殺される。横井小楠、大村益次郎に続く要人暗殺であったため、明治の世に大きな衝撃を与えた。

桂小五郎

長州藩士。変名後の木戸孝允(きどたかよし)としても広く知られる。維新の三傑一人。(ほか、西郷隆盛、大久保利通)。若い頃は、剣豪として江戸三大道場のひとつ「力の斎藤」の練兵館で神道無念流の免許皆伝を得て、塾頭にもなる。ペリ…

高杉晋作

長州藩士。奇兵隊を代表とする諸隊を創立。松下村塾の四天王の一人。(ほか、久坂玄瑞、吉田稔麿、入江九一)。伊藤博文が高杉晋作を評して「動けば雷電の如く発すれば風雨の如し」。その行動力と独創的なひらめきからくる戦術の才能は、…

久坂玄瑞

長州藩士。藩内における尊王攘夷派の中心人物として京都政界でも活躍。松下村塾の四天王の一人であり、師の吉田松陰の評価がもっとも高かった。(四天王はその他、高杉晋作、吉田稔麿、入江九一)。禁門の変にて自刃。

吉田稔麿

長州藩士。松下村塾の四天王の一人(ほかは久坂玄瑞、高杉晋作、入江九一)。高杉晋作の奇兵隊に参加。京都での活動中、会合場所を新撰組に急襲され、討ち死にする。有名な池田屋事件である。

入江九一

長州藩士。松下村塾に入門後、師である吉田松陰から高く評価され、松門四天王の一人に数えられた。(ほかは久坂玄瑞、高杉晋作、吉田稔麿)。高杉や久坂でさえ「時期尚早」と参加しなかった、師・吉田松陰の老中暗殺計画に参加するなど、…

椋梨藤太

長州藩士。幕末の重臣。保守佐幕派として、改革派である周布政之助、桂小五郎、久坂玄瑞らと常に政権を争う。禁門の変や第一次長州征伐など過激な攘夷行動への反動が起こり、長州藩自体の存亡が問われ始めると、保守派として実権を握り、…

吉田松陰

長州藩士。明治維新の精神的指導者。人材育成の面で、優れた教育者でもある。幼少のころ、叔父の玉木文之進が開塾した松下村塾で、節としての教育を受ける。のち、江戸にでて佐久間象山に指事。

長井雅楽

長州藩士。幕末屈指の先駆的な考えを持つ人物。開国論者であり、公武一和をベースとした自説「航海遠略策」は、長州の藩論となるばかりか、幕府や朝廷でも歓迎されるなど、大きな影響力をもった。しかし、長州藩内で松下村塾を中心とした…

周布政之助

長州藩士。藩の財政改革を断行した村田清風の影響を強く受ける。改革派として、桂小五郎や高杉晋作を積極的に登用。吉田松陰および松下村塾系の人物たちも支持する。保守派の椋梨藤太とたびたび政権争いを繰り広げる。禁門の変や長州征伐…

村田清風

長州藩士。家老。幕末の動乱を迎える前に、家老として藩政を改革。財政を再建する。幕末の動乱期に長州が勇躍する礎を築いた。

毛利元徳

長州藩の第15代藩主。長州藩最後の藩主でもある。毛利敬親の養子として後継した。明治維新後は、国立銀行頭取や貴族院議員となる。

毛利敬親

長州藩の第14代藩主。「もうりよしちか」とも呼ばれる。家臣の進言に異議を唱えない典型的なお殿様であり、そうせい候と呼ばれていた。

調所広郷

調所笑左衛門ともよぶ。 江戸後期屈指の経済感覚を持ち、薩摩藩家老としてほとんど破綻していた藩の財政改革に取り組む。 調所は、清との密貿易や黒砂糖の専売制などを行い、藩の財政を急回復させ10年かからずに黒字化に成功した。 …

奈良原繁

諱は混。幼名は三次。通称喜八郎。 西郷隆盛の討幕路線とは一線を画していたため、薩摩の藩政から退けられる。 のち、静岡県令や沖縄県知事、日本鉄道社長に就任。

島津珍彦

島津久光の息子。 名をよく変えた(紀寛→忠鑑→珍彦、通称は敬四郎→又次郎→周防→常陸→備後)。妻は島津斉彬の娘・典子。 禁門の変、鳥羽・伏見の戦い、箱館戦争に参戦して軍功をあげる。 終戦後は、照国神社宮司や鹿児島県立中学…

篤姫

薩摩藩の名君・島津斉彬の娘(養女)。 落飾後の戒名・天璋院としても知られ、その波乱の人生から、NHK大河ドラマや小説でも取り上げられている。 21歳のときに、将軍継嗣問題で一橋慶喜擁立のために、第13代将軍・徳川家定と正…

愛加那

西郷隆盛の妻。西郷が奄美大島に流刑になっていた際に、結婚。菊次郎をもうける。 西郷が後に鹿児島に帰還した際に、島に残りそのまま生涯島から出ることはなかった。 息子・菊次郎は後に西郷の後妻・イトに引き取られ、台湾・宜蘭庁の…

西郷イト

西郷糸子とも呼ばれる。 西郷隆盛の妻である。西郷の間に、寅太郎・午次郎・酉三の三人の子供に恵まれ、また、西郷が奄美大島に流刑になっていた際に設けた菊次郎も引き取った。 明治維新最大の立役者でありながら西郷家は非常に貧しく…

税所篤

薩摩藩士。父は薩摩藩士の税所篤倫。藩内では勘定所郡方。戊辰戦争でも、新政府軍の軍事費などの財政処理を務めた。明治14年、元老院議官となり、20年に子爵を授与された。また大阪府権判事はじめ、河内、兵庫、堺、奈良の県知事を務…

有馬新七

薩摩藩士。薩摩藩の内紛である寺田屋事件では、藩の同士の襲撃をうける。(実質的最高権力者である島津久光の命によるもの)。末期に相手を捕まえながら味方に叫んだ「おいごと刺せ!(俺ごと刺せ)」は、寺田屋事件を扱うドラマでは必ず…

永山弥一郎

薩摩藩士。明治6年に西郷が下野した時、後を追うことはなかったが、明治8年に政府の外交姿勢に不満を抱き、鹿児島に帰る。帰郷後も、桐野利秋らの私学校派とは一線をひき、むしろ大久保利通や川路利良を評価するなど、薩摩藩士のなかで…

池上四郎

薩摩藩士。西南戦争では、桐野利秋や村田新八とともに最後の最後まで抗戦。自刃した。

川路利良

薩摩藩士。「かわじとしなが」とも読む。警視庁大警視(警視総監)となり、欧米を参考としながら日本の警察機構の礎を築いた。日本警察の父。機構の性格上、内務卿である大久保利通とは密に連携を取り、佐賀の乱や西南戦争において秘密裏…

大山綱良

薩摩藩士。廃藩置県後、鹿児島県の大参事、権令(県令)となる。西南戦争後、官金を西郷軍に提供した罪を問われ、逮捕。斬首。

海江田信義

薩摩藩士。幕末時の名は有村俊斎(ありむらしゅんさい)。生麦事件で、大名行列を遮ったイギリス人に止めを刺した人物として知られる。また、戊辰戦争における長州藩の大村益次郎との対立は有名。大村益次郎暗殺の犯人(神代直人ら)とも…

村田新八

薩摩藩士。寺田屋騒動を煽動したとして、西郷隆盛とともに、島津久光から疑われ、島流し(喜界島)にあう。1866年、長州藩の伊藤博文らとともに上海訪問。明治維新後も、岩倉使節団の一員として欧米視察。生来の器量とともに、豊富な…