大友宗麟

大友義鎮(おおともよししげ)ともいう。幼名は塩法師丸。おもな官位は左衛門督。号は三非斎。霊名はドン・フランシスコ。 大友氏第21当主。キリシタン大名として、九州の北半分を支配し大友家の最盛期を築く。後年、北上する島津義久…

南光坊天海

大僧正。智楽院とも呼ばれる。諡号は慈眼大師。徳川家康の側近であり、朝廷政策や宗教政策において、幕府内で強い影響力を持っていたことから「黒衣の宰相」とも呼ばれる。 徳川家康の神号「東照大権現」を提言したのは天海である。 ま…

小早川秀秋

幼名は木下辰之助。通称は金吾。別名は金吾中納言、筑前中納言、岡山中納言。おもな官位は参議・権中納言。豊臣秀吉の正室ねね(北政所)の兄・木下家定の五男として生まれる。幼少の頃から義理の叔父である秀吉の養子となり、秀吉の寵愛…

赤川元保

毛利十八将のひとり。兄・就秀とともに毛利元就を支えた。元就の嫡男・隆元が急死した際に、元就から暗殺の疑いを掛けられる。実はこれはえん罪なのだが、赤川元保は蟄居謹慎処分を受け、最後は自刃に追い込まれた。 毛利元就は後日えん…

まつ(芳春院)

前田利家の正室。利家を支え、加賀百万石の礎をともに築いた。 利家の死後、出家し芳春院と号する。

小山田信茂

武田信玄・勝頼の2代に仕えた譜代家老。織田信長の武田攻めの際に、心変わりし当時の君主・勝頼を裏切る。結果、武田勝頼は自害に追い込まれ武田家は滅亡してしまう。 小山田信茂の裏切りは敵方大将・織田信忠の怒りをかい、不忠を咎め…

片倉小十郎

小十郎は通称であり、名は片倉景綱(かたくらかげつな)。 伊達政宗の右腕であり、小田原の役では豊臣秀吉方へ参陣するよう政宗を説得。無用な戦いを避け、伊達家を最大の危機から救った。

福島正則

幼名は市松。別名は左衛門大夫、清須侍従。おもな官位は参議。 賤ヶ岳七本槍の一人。七本槍のなかでも一番槍・一番首を遂げるなど武功数知れず、豊臣軍団随一の猛将として名高い。 朝鮮出兵を契機として官僚・石田三成と不仲になり、秀…

綾御前

仙桃院/仙洞院(せんとういん)という名で有名。生年は1528年説もある。上杉謙信の姉(同母、父は長尾為景)。長尾政景の正室となり、2男2女をもうける。このうちのひとりが、後に謙信の養子となり上杉の家督を継承する。後の上杉…

竹中半兵衛

初名は重虎、のちに重治(しげはる)。戒名は深竜水徹。通称である半兵衛が有名。「両兵衛」「二兵衛」とよばれた名軍師のうちの一人(もう一人は黒田官兵衛)。当初は美濃斎藤家に仕え、持ち前の軍略の冴えで織田信長の美濃侵攻をよく防…

甲斐姫

忍城主・成田氏長の長女。のち、豊臣秀吉の側室となる。 1590年の秀吉による小田原城攻めの際には、石田三成相手に忍城を守り、光成が立てた作戦(水攻め)を逆手に取るなど奮戦。また甲斐姫自らも鎧兜をつけて出陣。敵将を討取った…

立花宗茂

幼名は千熊丸、彌七郎。通称は藤次郎。おもな官位は左近将監・侍従・飛騨守。大友氏の重臣・高橋鎮種(紹運)の長男として生まれ、立花道雪に請われて立花家の養子となる。島津による筑前侵攻に対する守り、豊臣秀吉の九州攻めなどで功績…

柴田勝家

通称は権六郎、権六。あだ名は鬼柴田、かかれ柴田、瓶割り柴田。生年は1526年・1527年など諸説ある。 若い頃から織田信長に家臣として仕え、家中随一の猛将として知られる。信長の大軍略である天下統一戦では北陸方面軍の指揮を…

佐々木小次郎

生まれはは越前国の説もある。号は巌流。師は中条流富田勢源、あるいは富田勢源門下の鐘捲流の鐘捲自斎。 野太刀「備前長船長光」(通称 物干し竿)を携え、秘剣「燕返し」を会得。 宮本武蔵との巌流島での決闘はあまりにも有名である…

細川ガラシャ

本名は玉子(たまこ)または、たま。明智光秀の娘。戦国時代における美女としても有名。 父・光秀の主君である織田信長のすすめで、細川藤孝の嫡男・細川忠興に嫁いだ。本能寺の変後は「逆臣の娘」となってしまうが、夫・忠興との絆は深…

前田利家

幼名は犬千代。通称は又左衞門、又左。おもな官位は筑前守・権大納言。あだ名は槍の又左衞門、槍の又左。若い頃は織田信長に仕え、柴田勝家の寄騎となる。また、屋敷が隣同士だったこともあり、豊臣秀吉とも仲が良かった。勝家と秀吉が対…

北政所(ねね)

実名がねね、もくしは、おね。北政所というのは関白の正室を意味する。 豊臣秀吉の正室として、秀吉の出世を支えた。秀吉との間に実子はなかったが、後の有力家臣となる加藤清正や福島正則を幼少の頃から養育した。 好色な秀吉は多くの…

立花誾千代

号は瑞玉霊神。大友氏家臣である立花道雪(戸次鑑連)の一人娘。誾千代が7歳の時に父・道雪から家督を譲られるが、これは戦国時代においてきわめて稀なことである。のち、夫・立花宗茂を婿として迎える。 関ヶ原の戦い以後は肥後にひき…

稲姫(小松姫)

稲姫は幼名。本多忠勝の娘。賢夫人として現在でも知られる。 上田合戦により真田軍の手強さを知った本多忠勝が、城主・真田昌幸を味方につけるため、徳川家康に自らの子である稲姫(小松姫)を嫁がせることを提案。 稲姫は、真田昌幸の…

濃姫

没年には諸説ある。父は美濃の斎藤道三、母は明智光継の娘・小見の方。明智光秀と従兄という説もあり、司馬遼太郎の『国盗り物語』ではこの説を採用している。 政略結婚により、織田信長に嫁ぐ。嫁いだあとの記録が現在のところ乏しく、…

出雲阿国

生年には諸説あり。於国、国、国子、おくに、くになど、いくつかの表記が残されている。 出雲大社の巫女であったと伝えられている。歌舞伎踊りの創始者であるとされていて、勧進のため諸国をめぐり、たいそうな評判であったといわれてい…

お市の方

織田信長の妹。軍事同盟のため、浅井長政のもとに嫁ぐ。のち三姉妹をもうけるが、これが茶々、初、江である。本能寺の変後、柴田勝家と再婚するが、これも甥の織田信孝による政略である。 賤ヶ岳の戦いで柴田勝家とともに自刃。3人の娘…

加藤清正

幼名は虎之助。別名は竹松、夜叉若。おもな官位は主計頭・肥後守。あだ名は地震加藤。豊臣秀吉の子飼いの家臣であり、賤ヶ岳の七本槍の一人。知勇合わせ持つ名将として知られ、朝鮮出兵においても先鋒を務める。 また、加藤清正は行政の…

大谷吉継

幼名は桂松(慶松)。通称は紀之介。おもな官位は刑部少輔。ハンセン病を患い、白い頭巾を被り戦場に出ていたことでも知られる。 豊臣秀吉に小姓として仕え、賤ヶ岳の戦いでは七本槍に次ぐ軍功をあげた。 関ヶ原の戦いでは、無二の友・…

長宗我部元親

幼名は弥三郎。通称は土佐侍従。おもな官位は土佐守・侍従・宮内少輔。あだ名は姫若子、鬼若子、土佐の出来人、鳥なき島の蝙蝠。幼い頃は「姫若子」とあだ名されるほど、色白で物静かな少年だったが、長じてからは初陣で戦果をあげるなど…

吉川元春

毛利両川のひとり(ほか、小早川隆景)。

毛利元就

幼名は松寿丸。通称は少輔次郎。おもな官位は陸奥守・治部少輔。あだ名は乞食若殿、謀神。号は武振彦命(読み方 たけふるひこのみこと)。類いまれな駆け引きのうまさでリスクを負わず勝利を得ていくことから、「戦国最高の知将」とも「…

北条氏康

幼名は伊豆千代丸。通称は新九郎。おもな官位は相模守・左京大夫。あだ名は相模の獅子、相模の虎。上杉謙信などを退け、関東における北条の地位を確立。北条全盛期を築く。

黒田官兵衛

幼名は万吉。通称は官兵衛、勘兵衛。おもな官位は陸奥守・参議・権中納言・勘解由次官(かげゆのすけ)。あだ名は黒田の瘡頭、黒勘。号は如水軒。洗礼名はシメオン。黒田孝高(くろだよしたか)よりも黒田如水(くろだじょすい)や黒田官…

宮本武蔵

実名は新免武蔵藤原玄信(読み方 しんめんむさしふじわらはるのぶ)。幼名は辨助(読み方 べんのすけ)。号は二天、または二天道楽。 13歳で生き死にかけた決闘をはじめて行なう。このとき新当流の有馬喜兵衛に勝利して以来、60余…

風魔小太郎

北条氏に仕えた忍者・風魔一族の頭領が代々受け継いだ名前。 特に有名なのは北条氏政・氏直父子に仕えた五代目・風魔小太郎であり、武田勝頼との黄瀬川の戦いでも攪乱作戦で軍功をあげる。 映画や小説、ゲームに登場する風魔小太郎はこ…

島津義弘

通称は又四郎。おもな官位は侍従・参議。あだ名は鬼島津(鬼石曼子)。号は精矛厳健雄命(読み方 くわしほこいずたけをのみこと)。改名として忠平、義珍、義弘、惟新斎、自貞(法号)。 由緒ある島津家のなかでも「雄武英略を以て傑出…

島左近

実名は島 清興(読み方 しま きよおき)。広く知られる島左近は通称である。別名は勝猛、友之、清胤、昌仲。 筒井順慶、定次に仕えた後、豊臣秀長・秀保に仕えたとも関一政に仕えたともいわれる。やがて浪人となっていたところに石田…

浅井長政

幼名は猿夜叉丸(読み方 さるやしゃまる)。通称は新九郎、備前守。おもな官位は贈従二位中納言。別名として賢政、長政。 16歳で父・浅井久政から家督を継ぎ、23歳で織田信長の妹・お市と結婚。美濃を平定し勢いづく信長との同盟は…

本多忠勝

幼名は鍋之助。通称は平八郎。おもな官位は中務大輔。 徳川十六神将に数えられ、その中でも特に活躍した徳川四天王(ほか、酒井忠次・榊原康政・井伊直政)徳川三傑のひとりでもある。 天下三名槍のひとつ蜻蛉切(とんぼきり) を携え…

今川義元

幼名は芳菊丸。別名は氏元。おもな官位は治部大輔・上総介・三河守。 幼少時に出家し栴岳承芳(読み方 せんがくしょうほう)と称す。 兄・氏輝が早世した後、異母兄・玄広恵探(読み方 げんこうえたん)との争いに打ち勝ち、今川の家…

森蘭丸

織田信長の小姓。実名は森成利(読み方 もりなりとし)。俗称は蘭丸。乱、乱法師と称す。 本能寺の変で安田国継に討取られ、弟の坊丸・力丸もともに最後を遂げる。

服部半蔵

実名は服部正成(読み方 はっとりまさなり)。あだ名は鬼半蔵。徳川十六神将のひとり。 父・保長の代から譜代の武将として徳川に仕え、伊賀忍者の頭領として合戦ではたびたび軍功をあげる。 なかでも、本能寺の変が起こったとき少数の…

雑賀孫市

本名は鈴木孫一。通称は雑賀孫一または孫市。 鉄砲を得意とした雑賀衆の棟梁。根来寺の僧兵を指揮して石山合戦では織田信長を苦しめる。のち、豊臣秀吉に仕える。 正体は不明なところもあり、雑賀衆の棟梁だった鈴木重意・鈴木重兼・鈴…

前田慶次

生年は1533年・1541年説あり。没年は1605年・1612年といわれる。実在した人物である。 通称は宗兵衛、慶次郎、慶二郎、啓次郎、慶次、穀蔵院飄戸斎(読み方 こくぞういんひょっとこさい)、龍砕軒不便斎(読み方 りゅ…

真田信繁(幸村)

幼名は弁丸。通称は源次郎。おもな官位は従五位下・左衛門佐。あだ名は不思議なる弓取り。 一般的には真田幸村で知られるが、史料による裏付けは現在まで見つかっておらず、正しくは「真田信繁(読み方 さなだのぶしげ)」である。 関…

伊達政宗

幼名は梵天丸。通称は藤次郎。おもな官位は陸奥守・参議・権中納言。あだ名は独眼竜、東北王、奥州の龍。号は武振彦命(読み方 たけふるひこのみこと)。 幼少の頃に天然痘により右目を失明し隻眼となる。以後、消極的な性格となり家臣…

直江兼続

幼名は与六。通称は次郎三郎。おもな官位は山城守。改名として樋口兼続、直江兼続、重光。 上杉家の家老。五大老である上杉景勝を補佐し、関ヶ原の戦いのきっかけとなる徳川家康の会津遠征を決意させた直江状の書いたことでも知られる。

石田三成

幼名は佐吉。おもな官位は治部少輔。 豊臣政権の五奉行の一人。おもに吏僚として才能を発揮して、主君・豊臣秀吉から絶大な信頼を得る。秀吉の死後は、その家督を継いだ嫡男・豊臣秀頼を支え、豊臣の中央集権体制を維持しようと務める。…