明智光秀

幼名は彦太郎。通称は十兵衛。おもな官位は日向守。あだ名はキンカ頭。 足利義昭と織田信長の両方に仕えるという特殊な立場をとり、その教養の高さから重用される。 信長の天下統一戦では山陰方面を担当。 謀反を起こし本能寺にて主君…

上杉謙信

幼名は虎千代。通称は平三(読み方 へいざ)。おもな官位は弾正少弼。あだ名は軍神、越後の虎、越後の龍、聖将。号は謙信。改名として長尾景虎→上杉政虎→輝虎→不識庵謙信。 無能とよばれた兄・長尾晴景に代わり家督を継いだあと、越…

武田信玄

幼名は勝千代。通称は太郎。おもな官位は大膳大夫。あだ名は甲斐の虎、甲斐の龍。号は信玄。父親である武田信虎を追放し21歳で家督を相続。上杉謙信と5度に渡る川中島の戦いを繰り広げる一方で、着実に信濃・駿河を併呑。京都への西上…

豊臣秀吉

戦国の三英傑のひとり(ほか、織田信長、徳川家康)。 幼名は日吉丸。通称は藤吉郎。おもな官位は筑前守・関白(太閤)。あだ名は猿、木綿藤吉、豊太閤。号は豊国大明神(読み方 とよくにだいみょうじん)。改名として木下藤吉郎→秀吉…

織田信長

戦国の三英傑のひとり(ほか、豊臣秀吉・徳川家康)。 幼名は吉法師。通称は三郎。おもな官位は上総介(読み方 かずさのすけ)・右大臣(右府)。 あだ名は第六天魔王、大うつけ、赤鬼。号は建勲。織田信長は、尾張国の戦国大名・織田…

仙厓義梵

禅僧であり画家。40歳を過ぎてから本格的に始めた絵を描くことに没頭、70歳を過ぎた頃に「厓画無法」(自分の絵にはルールはない)を宣言し、自由で軽妙洒脱な筆さばきで2,000点以上ともいわれる作品を残す。その“ゆるカワ”な…

耳鳥斎

江戸時代に活躍した絵師。生まれは1751年以前、没年は1802-03年といわれる。生前から「浪花の鬼才」として人気を集め、「江戸の写楽、浪花の耳鳥斎」とまでいわれた。現在でもそのユルかわな作風で、展覧会や図録が人気である…

二宮金次郎(尊徳)

報徳思想を説いた経世家。二宮金治郎(金次郎)の名でも知られる。少年の頃の、薪を運ぶ仕事の傍ら歩きながら読書する様子を伝える銅像が全国各地にある。ただし、ながらスマホ(歩きスマホ)が問題になるようになってからは、二宮尊徳像…

中江藤樹

「近江聖人」と称えられた陽明学者。内村鑑三の『代表的日本人』にて、紹介された5人のうちのひとり(他は西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、日蓮)。代表作は『翁問答』。

桜木勘十郎

「縞の勘十郎」とよばれた書画骨董の目利き。縞模様がとにかく好きで、身につける衣服なども縞模様で揃えたことでしられる。

生月鯨太左衛門

江戸時代後期の力士。姓は「いくづき」または「いけづき」ともよばれる。巨人症であり、力士のなかでも群を抜く身長227cm、体重169kgを誇った。怪力にまつわる逸話は残り人気ではあったが、幕内在位は12場所にとどまった。幕…

渓斎英泉

江戸時代に活躍した浮世絵師。美人画や名所絵で代表作を残す。

お梅の方

徳川幕府8代将軍・徳川吉宗の側室。一橋徳川家初代当主・徳川宗尹(むねただ)の生母。なお、宗尹の孫は11代将軍・家斉、曾孫は12代将軍・家慶、玄孫は13代将軍・家定と14代将軍・家茂。お梅は幼くして和歌山城に奉公に上がると…

斎宮

徳川幕府6代将軍・徳川家宣の甲府藩主時代の側室。武士の娘で、甲府藩主時代の家宣(当時は綱豊)の江戸桜田邸に奉公し、見初められて寵愛を受けるように。家宣の子を懐妊したが、難産のため母子ともに他界した。墓所は東京都墨田区にあ…

お須免の方

徳川幕府6代将軍・徳川家宣の側室。別称に二之御部屋様、新典侍局。公家出身の近衛熙子(ひろこ)が家宣の正室としてに輿入れした際に熙子に仕え、のち家宣に見初められ側室となった。やがて家宣の子である男児・大五郎を出産、同じく家…

飯塚染子

5代将軍・徳川綱吉が寵愛した側用人として知られる甲斐国甲府藩主・柳沢吉保の側室。出自については諸説あり、柳沢家家臣の娘とも公家の娘とも。もとは吉保の生母の侍女で、吉保から寵愛され側室となり、吉里を生んだ。染子は才色兼備で…

近衛信尹

安土桃山時代から江戸時代前期の公家。初名は信基、のち信輔。号は三藐院(さんみゃくいん)。関白・近衛前久(さきひさ)の子として生まれ、内大臣、左大臣と進み関白を望んだが、豊臣秀吉、秀次に関白職を奪われ心を病むようになり左大…

松花堂昭乗

江戸時代前期の真言宗の僧、文化人。俗名は中沼式部。10代で京の石清水八幡宮にて出家し、真言密教の修行に励みこれを極め、阿闍梨法印の位につき、のち滝本坊の住職となった。能書家として名高く、近衛信尹、本阿弥光悦とともに「寛永…

近衛信尋

江戸時代前期の公家。父は後陽成天皇で第四皇子として生まれた。幼称は二宮、法号は応山(おうざん)。本阿弥光悦、松花堂昭乗とともに「寛永の三筆」と謳われた養父・近衛信尹(のぶただ)に書を学び、能書家として知られた。諸芸に優れ…

千宗旦

江戸時代前期の茶人で、千家第3世。字は元伯、別号に咄々斎(とつとつさい)、咄斎がある。千利休の孫にあたり、父は利休の後妻(千宗恩)の連れ子である千少庵、母は利休の娘・お亀。祖父・利休の希望により幼くして大徳寺に入り禅を学…

金森宗和

江戸時代前期の茶人、武士。今日まで続く茶道「宗和流」の祖。名は重近(しげちか)。戦国武将でのちの飛騨高山藩主・金森可重の長男として生まれた。「大坂の陣」に際して徳川方に味方する父を批判したことから勘当され、母とともに京へ…

東福門院

江戸時代前期の女性。後水尾天皇の中宮で、859年ぶりの女帝となった第109代天皇・明正(めいしょう)天皇の生母。父は2代将軍・徳川秀忠、母は江。徳川家康の内孫にあたり、豊臣秀頼はいとこ、その妻である千姫は姉。名は徳川和子…

祖心尼

江戸時代前期の臨済宗の尼僧。義理の叔母で3代将軍・徳川家光の乳母・春日局の補佐役として大奥で絶大な権力を振るった。名はおなあ(おのう、とも)。伊勢国岩手城主・牧村利貞の娘として生まれたが、父・利貞は豊臣秀吉による「文禄の…

お楽の方

江戸時代前期の女性、3代将軍・徳川家光の側室で4代将軍・家綱の生母。別名は高島御前、法名は宝樹院。下野国都賀郡高島村(現・栃木県栃木市大平)にて農民の娘として生まれる。父の死後、母と江戸へ出て13歳の時に家光の乳母・春日…

お振の方

江戸時代前期の女性、3代将軍・徳川家光の側室。御三家のひとつ尾張藩主・徳川光友の正室・千代姫の生母。父は蒲生秀行の家臣・岡重政で、曽祖父は石田三成といわれる。母方の祖母・祖心尼(そしんに)の親類にあたる春日局の養女という…

小堀遠州

安土桃山時代から江戸時代前期にかけて活躍した大名。作庭家、茶人としても名高い。備中松山藩2代藩主、のち近江小室藩初代藩主。一般に知られる「遠州」の名は官位の遠江守に由来する通称で、後年は「遠州」と名乗った。幼名は作助、元…

高坂甚内

江戸時代前期の盗賊、忍者。苗字は向坂、勾坂、向崎とも。江戸吉原遊郭の創始者・庄司甚内、古着市をしきった鳶沢甚内とともに「三甚内」と呼ばれる。もとは甲斐武田家に仕えた甲州流忍者の頭領。武田家滅亡後、江戸へ出て関東を支配する…

細川綱利

江戸時代前期の大名、肥後国熊本藩の3代藩主。通称は六丸。「赤穂事件」において吉良上野介義央を討ち取った赤穂浪士四十七士のうち、リーダーの大石内蔵助をはじめ17人の義士のお預かりを担当したことで知られる。綱利は父の死後、6…

色部又四郎

江戸時代前期から中期の武士、米沢藩上杉家の江戸家老。又四郎は通称で、名は安長(やすなが)。『忠臣蔵』などの創作物では、父・吉良上野介を助けるため出兵しようとする主君・上杉綱憲を色部が制止するというシーンがしばしば登場する…

小林平八郎

江戸時代前期の武士、「赤穂事件」で知られる高家・吉良上野介義央の家臣で吉良家の家老。平八郎は通称で、名は央通(ひさみち)。赤穂浪士四十七士による吉良邸討ち入りの際に討ち死にした。講談や歌舞伎、ドラマといった『忠臣蔵』のフ…

清水一学

江戸時代前期の武士。「赤穂事件」で赤穂浪士四十七士が吉良邸に討ち入りした際に討ち死にした。フィクションにおける『忠臣蔵』では吉良家随一の剣豪として描かれ、同門の友で義士の堀部安兵衛とも一騎打ちなどが名シーンとして描かれる…

小山田庄左衛門

江戸時代前期の武士、播磨国赤穂藩浅野家の家臣。主君・浅野内匠頭長矩が刃傷事件を起こしお家断絶となると、大石内蔵助派として行動し早くから義盟に参加していた。江戸では堀部安兵衛と同宿し、吉良方の動向を探索するなど活動していた…

進藤源四郎

江戸時代前期の武士、播磨国赤穂藩浅野家の家臣。源四郎は通称で、名は俊式(としもと)。赤穂浪士四十七士のリーダー大石内蔵助の母方の大叔父にあたる。主君・浅野内匠頭長矩が刃傷事件を起こしたあとは筆頭家老・大石内蔵助派として行…

橋本平左衛門

江戸時代前期の武士、播磨国赤穂藩浅野家の家臣。主君・浅野内匠頭長矩が刃傷事件を起こし切腹したあと、当初から大石内蔵助に従い義盟に加わっていたが、赤穂城開城後に京で暮らしていた時に大坂曽根崎新地で知り合った遊女・お初と恋仲…

岡林杢之助

江戸時代前期の武士、播磨国赤穂藩浅野家の重臣。杢之助は通称で、名は直之(なおゆき)。浅野家家臣団のなかで大石家に次ぐ名家の出身でありながら討ち入りに参加せず、不忠臣のそしりを受けた。主君・浅野内匠頭長矩が刃傷事件を起こし…

藤井又左衛門

江戸時代前期の武士、播磨国赤穂藩浅野家の家老。又左衛門は通称で、名は宗茂(むねしげ)。赤穂藩内では筆頭家老・大石内蔵助に次ぐ重臣だったが、討ち入りに参加せず、不忠臣とそしりを受けた。主君・浅野内匠頭長矩が勅使饗応役を務め…

安井彦右衛門

江戸時代前期の武士、播磨国赤穂藩浅野家の江戸家老。主君・浅野内匠頭長矩とは遠縁の間柄で、彦右衛門は長く江戸家老を任された。重臣だが討ち入りに参加しなかったため不忠臣のそしりを受けた。長矩が勅使饗応役を務めた際も家老・藤井…

寺坂吉右衛門

江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとりで、300人ほどいた浅野家足軽のなか唯一討ち入りに参加し、その後生き残ったことで知られる。吉右衛門は通称で、名は信行(のぶゆき)。赤穂藩浅野家家臣の子として生まれ、8歳の時から…

横川勘平

江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。勘平は通称で、名は宗利(むねとし)。いつ頃かは不明だが赤穂藩主・浅野内匠頭長矩に仕え、長矩が刃傷事件を起こした時は江戸にいたがすぐに赤穂へ戻った。はじめ殉死を唱えていたが、義…

杉野十平次

江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。十平次は通称で、名は次房(つぎふさ)。十平次自身は微禄ながら、母方の実家・荻原家は藩内でも知られる裕福な家だった。主君・浅野内匠頭長矩が刃傷事件を起こした時、十平次は参勤交代…

前原伊助

江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。伊助は通称で、名は宗房(むねふさ)。赤穂藩浅野家家臣の子として生まれ、家督を継ぐと浅野家の江戸詰め家臣として仕えた。主君・浅野内匠頭長矩が刃傷事件を起こした時、伊助は江戸にお…

勝田新左衛門

江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。新左衛門は通称で、名は武尭(たけたか)。若いながらも剣術の達人。幼くして父と母を亡くし家督を継ぐと、赤穂藩主・浅野内匠頭長矩に中小姓として仕えた。主君・長矩が刃傷事件を起こし…

矢頭右衛門七

江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。右衛門七(えもしち)は通称で、名は教兼(のりかね)。義士のなかでは大石主税に次いで若かった。女性に間違えられるほどの美青年だったという。赤穂藩主・浅野内匠頭長矩が刃傷事件を起…

倉橋伝助

江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。伝助は通称で、名は武幸(たけゆき)。7歳(6歳とも)の時に父を亡くし幼くして家督を継ぐと、赤穂藩主・浅野内匠頭長矩に中小姓として仕えた。主君・長矩が刃傷事件を起こした時は、参…

菅谷半之丞

江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。半之丞は通称で、名は政利(まさとし)。子どもの頃、赤穂に配流中だった兵学者・山鹿素行に直接教えを受け、のち赤穂藩家老の大石頼母助良重につき山鹿流兵学の免許皆伝を受けたといわれ…

千馬三郎兵衛

江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。三郎兵衛は通称で、名は光忠(みつただ)。摂津国高槻藩永井家の家臣の子として生まれたが、同族の千馬家の養子となり家督を継いだ。赤穂藩では馬廻り役などを務め100石取りであったが…

中村勘助

江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。勘助は通称で、名は正辰(まさとき)。伯父・間瀬久太夫と従弟・間瀬孫九郎も義士として討ち入りに参加している。越後国村上藩の松平家家臣の子として奥州は陸奥国白川に生まれるが、その…

間十次郎

江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。十次郎は通称で、名は光興(みつおき)。父・間喜兵衛、弟・新六郎とともに家族3人で討ち入りに参加した。江戸一番の剣客として知られた堀内源左衛門の道場で剣を学び(同門に同じく義士…

早水藤左衛門

江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。藤左衛門は通称で、名は満尭(みつたか)。備前国岡山藩の池田家家臣の子として生まれたが、家督を兄が継いだため、播磨国赤穂藩の浅野家家臣・早水家の婿養子となった。藤左衛門は、弓術…

木村岡右衛門

江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。岡右衛門は通称で、名は貞行(さだゆき)。家紋は丸に違い丁字。赤穂藩浅野家の譜代家臣の子として生まれ、馬廻り役と絵図奉行を兼任した。学問好きの人物で早くから陽明学を学んだという…