松平不昧

江戸時代中期から後期の大名、出雲国松江藩の7代藩主。茶道「不昧流」の祖で、江戸時代を代表する茶人として名高い。一般に知られる「不昧」は号で、名は治郷(はるさと)。幼名は鶴太郎、のち治好(はるたか)。号はほかに斗門、蘭室、…

細井平洲

江戸時代中期から後期の折衷学派の儒学者。名君として名高い米沢藩主・上杉鷹山(治憲)の師として知られる。本姓は紀氏、諱は徳民、一般に知られる平洲は号で、号はほかに如来山人、通称は甚三郎、字は世馨。尾張国知多郡平島村(現・愛…

莅戸善政

江戸時代中期から後期の武士。米沢藩上杉家の家臣で藩主・上杉鷹山に抜擢され、竹俣当綱(たけのまたまさつな)とともに藩政改革を主導したことで知られる。通称は九郎兵衛、号は太華、好古堂。幼い頃に父を亡くし、17歳の時に祖父から…

伊奈忠順

江戸時代中期の関東郡代。通称は半左衛門。父は関東郡代の伊奈忠常。はじめ旗本・稲葉正篤の養子となったが、兄・忠篤の急死を受け伊奈家を継いだ。伊奈家代々が務める幕府代官として、深川永代橋の架橋工事や本所堤防の修築など江戸の拡…

毛利重能

江戸時代初期の和算家。現在知られている和算家のなかで最も古い。通称は勘兵衛。著書の『割算書』は江戸時代初期を代表する和算書で、それによると重能は摂津国武庫郡から京へ移り住み、「割算の天下一」という名の下に塾を開いたという…

森幸安

江戸時代中期の地図考証家。京の高辻京極西茶麿屋町で生まれ、少年時代は同族の医師のもとで勉学に励んだ。叔父の香具屋を継いで商売していたが、そのかたわら地元の山城や伏見の地図を作成した。30歳の若さで隠居すると大坂に転居し、…

平田篤胤

江戸時代後期の国学者、神道家、思想家、医者。復古神道(古道学)の大成者で、荷田春満(かだのあずままろ)、賀茂真淵、本居宣長とともに「国学四大人(しうし)」のひとりに数えられる。幼名は正吉、通称は半兵衛、元服後は胤行のち篤…

本間光丘

江戸時代中期の豪商。山形県酒田市に伝わる俗謡「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」で知られる豪商・本間家の三代目。「本間三郎四郎」とも。23歳で家督を継ぎ、1758年(宝暦8)から行った酒田の西浜の防砂林事業で…

黒住宗忠

江戸時代後期から幕末の神道家。神道系の新宗教のさきがけとなる「黒住教」の開祖。幼名は権吉、元服後は左之吉、神職を相続後は左京宗忠。備前国御野郡中野村にある今村宮に仕える禰宜の子として生まれ、評判の親孝行者として育った。敬…

青木昆陽

江戸時代中期の蘭学者、儒学者。「昆陽」は号で名は敦書、字は厚甫、通称は文蔵。さつまいもの栽培を普及させたことで知られ、「甘藷先生」と呼ばれた。江戸日本橋にある魚屋の息子として生まれ、京の儒学者・伊藤東涯に入門し儒学を学ん…

平田靱負

江戸時代中期の武士、薩摩藩の家老。別名は次郎兵衛、新左衛門、掃部、靱負。1753年に行われた木曽三川分流工事(宝暦治水事件)の責任者として知られる。1753年、琉球貿易により財力を蓄える薩摩藩を警戒した幕府は、木曽三川(…

徳川忠長

江戸時代前期の大名で、3代将軍・徳川家光の実弟。駿河国駿府藩主。父は2代将軍・秀忠で徳川家康は祖父にあたる。会津藩主・保科正之は異母兄弟。幼名は国松(国千代とも)、通称は駿河大納言。父・秀忠と母・お江の三男としいて生まれ…

保科正之

江戸時代前期の大名で会津松平家初代。徳川家康の孫にあたり、父は2代将軍・秀忠。3代将軍・家光は異母弟にあたる。幼名は幸松、通称は会津中将、神号は「土津霊神」。「江戸初期の三名君」のひとり(ほか2人は水戸藩主・徳川光圀、岡…

島津珍彦

島津久光の息子。 名をよく変えた(紀寛→忠鑑→珍彦、通称は敬四郎→又次郎→周防→常陸→備後)。妻は島津斉彬の娘・典子。 禁門の変、鳥羽・伏見の戦い、箱館戦争に参戦して軍功をあげる。 終戦後は、照国神社宮司や鹿児島県立中学…

広瀬武夫

日露戦争でのエピソードで知られる海軍中佐。旅順港閉塞作戦にて、閉塞船・福井丸の自沈を指揮。撤退時に部下・杉野孫七上等兵曹の姿が見当たらないことに気づき、沈没直前の福井丸に単身戻り、杉野を探している際に敵軍の砲弾を浴び戦死…

飯倉芽衣いいくらめい / Iikura Mei

飯倉芽衣 (いいくらめい / Iikura Mei) 生年月日 1993年11月30日 (現在 25歳)いて座 サイズ T168 / B87(Eカップ) / W62 / H85 / S 血液型 出身地 神奈川県 所属事務…