鳥居元忠

通称は彦右衛門尉。徳川家康の祖父・松平清康、父・松平広忠、家康と松平家3代に仕えた鳥居忠吉の息子(3男)。 下総国香取郡矢作藩の藩祖でもある。なお、『忠臣蔵』で有名な大石内蔵助(良雄)は元忠の子孫である。元忠は家康が今川…

本多正信

幼名は弥八郎。別名は正行。正保とも名乗った。おもな官位は、従五位下佐渡守。 幼少より徳川家康に仕えていたが、1563年に三河一向一揆が起こると一揆方につき主君・家康に敵対、一揆が鎮圧されると出奔した。その後、しばらく諸国…

山本勘助

武田信玄についた、戦国時代屈指の軍師。 武田二十四将のひとりであり、武田五名臣のひとり(ほか、原虎胤、小畠虎盛、横田高松、多田三八郎)

山内一豊

土佐山内氏の当主。妻・千代(見性院)の内助の功もあり、目覚ましい立身出世を遂げた人物として有名である。戦国の三英傑(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)に仕えた。

千代(見性院)

山内一豊の妻。夫の目覚ましい出世を支えた、「内助の功」の逸話は有名であり、小説やドラマでたびたび取り上げられている。

築山殿

本名は瀬名。別名を鶴姫、築山御前、駿河御前とも。 徳川家康の正室で、松平信康や亀姫を産んだ。築山殿は室町幕府の重鎮・今川貞世の血を引く名家の姫で、今川義元の姪である。 家康と結婚したのは1557年のことで、当時、家康は今…

豊臣鶴松

別名、棄丸とも。1589年7月9日、53歳の豊臣秀吉待望の世継ぎとして淀城で誕生。母は淀殿。 生後わずか4ヵ月で後継者に指名された鶴松だが、生まれつき病弱で、1591年9月22日、3歳という幼さで病死してしまった。

結城秀康

幼名は於義丸。別名は越前卿、越前黄門、越前宰相、越前少将。おもな官位は、三河守、権中納言、正三位、贈正二位。 徳川家康の次男で、母は側室の於万の方。秀康は生まれた時から父・家康に嫌らわれており、長兄・信康のとりなしでよう…

織田秀信

織田信長の孫(織田信忠の息子)。幼名である三法師として知られる。 通称は岐阜中納言、別名に三郎。キリシタン大名であり洗礼名はペトロ。 織田秀信がわずか3歳の時に、本能寺の変にて信長が急死。継嗣問題と領地再分配を決定する会…

織田信孝

「おだのぶのり」と読むこともある。伊勢の神戸氏の養子となったため、神戸信孝(かんべのぶたか)とも呼ばれる。 織田信長の息子(3男)である。幼名は三七。通称は藤次郎。 織田信長の死後、継嗣問題および領地再分配を決める重要会…

羽柴秀勝

織田信長の息子(4男)で、のちに羽柴秀吉の養子となった。幼名は於次(於次丸)。別名は丹波少将、丹波中納言とも。おもな官位は権中納言、左近衛権少将、従三位。詳細は不明だが、1586年頃の誕生と思われる。秀勝は最初、秀吉領の…

豊臣秀次

豊臣秀吉の姉・日秀の子で、秀吉の養子となる。 幼名は治兵衛、通称は小一郎・孫七郎。おもな官位は内大臣、関白、左大臣。 あだ名は殺生関白、豊禅閤。 武将としては、小牧長久手の戦いにおいて池田恒興や森長可といった名将が命を落…

豊臣秀頼

豊臣秀吉と淀殿の息子(秀吉の三男)であり、 幼名は拾丸。おもな官位は権大納言・正二位・内大臣・右大臣。 父・秀吉は後継者である秀頼のために、死去の前に五大老・五奉行などを導入し、政権維持の体制を整えた。しかし、次第に徳川…

豊臣秀長

豊臣秀吉の実弟。 幼名は小竹。通称は小一郎。ほか、大和大納言ともよばれた。おもな官位は権大納言・美濃守。 兄・豊臣秀吉の天下統一を強力に補佐した、歴史に名を残す「No.2」である。 政権内部の調停役としても実力を発揮する…

朝日姫

豊臣秀吉の実妹であり、徳川家康の正室である。名は、旭、末津、家康に嫁いだ後は、駿河御前とも呼ばれた。 朝日姫は家康以外の男性と既婚であったが、小牧長久手の戦いのあと、家康を懐柔しようとした兄・秀吉により離縁させられ、家康…

大政所

豊臣秀吉の実母である。本名は仲(なか)。 秀吉のほか、姉・日秀尼、弟・豊臣秀長、妹・朝日姫(駿河御前)を産む。対徳川家康との政略の具として用いられることもあったが、秀吉が長浜城主についたときに、城に迎えられるなど、息子か…

松平信康

徳川家康の長男である。 幼名は竹千代。通称は岡崎三郎。母は今川義元の姪である築山殿。 幼少期は今川氏の人質として駿府で過ごし、桶狭間の戦い後の1561年、岡崎城へと戻った。1567年にはわずか9歳で同じく9歳の織田信長の…

後藤又兵衛

後藤基次(ごとうもとつぐ)が本名だが、通称は又兵衛で、一般的には後藤又兵衛の名前でよく知られている。 「黒田二十四騎」「黒田八虎」「大坂城五人衆」「秀頼四天王」「大坂城七将星」のひとりであり、戦国時代屈指の名武将。 黒田…

古田織部

一般的には武将・古田重然としてより、「織部好み」と呼ばれる大胆かつ自由な気風を特色とする流行を生んだ茶人・古田織部として知られている。 初名は景安。名は重然。通称は左介。別名を古左、古織とも。おもな官位は織部正、従五位下…

浅井久政

幼名は猿夜叉。通称は左兵衛尉。ほか、新九郎。おもな官位は下野守・宮内少輔。浅井長政や京極マリアらの父である。

片桐且元

通称は助作。別名は直倫、直盛、且盛。おもな官位は東市正、従五位下。 早くから豊臣秀吉に仕え、1583年の賤ヶ岳の戦いで活躍、福島正則や加藤清正らとともに「賤ヶ岳の七本槍」のひとりに数えられた。 秀吉からの信任あつく、その…

真田信之

幼名は源三郎。初名は信幸。別名は一当斎。おもな官位は伊豆守、従五位下。父は真田昌幸、弟は真田幸村(信繁)。 父・昌幸が武田氏に仕えていたため、少年期を武田氏の人質として過ごした。1582年に主家である武田氏が滅亡すると真…

真田昌幸

幼名は源五郎。改称し武藤喜兵衛、真田昌幸と名乗った。おもな官位は阿波守、従五位下。真田信之、真田幸村(信繁)兄弟の父としても有名。 昌幸は6歳の時に人質として甲斐国へ行き、武田信玄に仕えるようになった。この間に武田家と縁…

淀殿(茶々)

浅井長政とお市の方の娘。いわゆる浅井三姉妹のひとり(ほか、初、江)。浅井茶々としても知られる。豊臣秀吉の側室として、捨(鶴松)、拾(秀頼)を生む。

江(崇源院)

浅井長政とお市の方の娘。いわゆる浅井三姉妹のひとり(ほか、茶々(淀殿)、初)。 3度の婚姻を結ぶ。一人目が佐治一成、二人目が豊臣秀吉の甥・豊臣秀勝、三人目が徳川秀忠(後の徳川幕府第2代将軍)である。

初(常高院)

浅井長政とお市の方の娘。いわゆる浅井三姉妹のひとり(ほか、茶々、江)。 京極高次の正室であるが、ふたりの間に子は生まれず、妹・江の娘などを養女として育てた。

京極高次

幼名は小法師。別名は羽柴大津宰相、京極侍従、京極若狭守。あだ名は蛍大名。官位は従三位参議。母は浅井長政の姉・京極マリアで、正室は浅井長政の娘たち「浅井三姉妹」の次女・初。 京極高次は、十五代将軍・足利義昭に仕えていた北近…

支倉常長

幼名は與市。初名は六右衛門長経。洗礼名はドン・フィリッポ・フランシスコ。 1592年から1598年にかけて豊臣秀吉によって行われた文禄・慶長の役に、主君・伊達政宗に従い出陣、活躍した。1613年、南蛮貿易を目指し遣欧使節…

伊達輝宗

幼名は彦太郎(のちに総次郎)。おもな官位は左京大夫、従四位下。正室は最上義光の妹・義姫。「独眼竜」政宗の父としても知られ、政宗の教育に熱心だったという。 1565年頃に家督を継いだが、父・伊達晴宗との対立や重臣である中野…

黒田長政

幼名は松寿丸。通称は吉兵衛。洗礼名はダミアン。おもな官位は甲斐守、筑前守、従五位下、従四位下。父は豊臣秀吉の名軍師として名高い黒田孝高(官兵衛、如水)。 1568年12月3日に黒田孝高の嫡男として誕生した黒田長政は、15…

太田道灌

幼名は鶴千代。名は資長。おもな官位は正五位下備中守。一般的に知られている「道灌」というのは入道してからの号。 江戸城を築城した人物としても名高い。 太田道灌は、武蔵守護代である扇谷上杉家の家宰職を父から受け継ぎ、上杉定正…

足利義昭

十二代将軍・善晴の子で室町幕府最後の将軍。 初名は義秋。法名は覚慶、昌山。あだ名は鞘公方。おもな官位は征夷大将軍、左馬頭、権大納言。 足利将軍家の家督相続者ではなかったため仏門に入っていたが、兄・足利義輝が松永久秀ら「三…

今井宗久

名は兼員。初名は久秀。通称は彦八郎(のち彦右衛門)。 生まれは大和国ともいわれる。 茶湯の天下三宗匠のひとり(ほか、千利休・津田宗及)。独立都市・堺の豪商にして茶人。 号は昨夢庵寿林。屋号は納屋。名は兼員、初名を久秀、通…

細川幽斎

細川藤孝でも知られる。幼名は萬吉。通称は与一郎。号は幽斎玄旨。おもな官位は兵部大輔、大蔵卿法印。 将軍・足利義輝に仕えていたが、義輝が松永久秀らに暗殺されると幽閉されていたその弟・義昭を救出し、朝倉義景や織田信長らに助力…

荒木村重

幼名は十二郎、のちに弥介(弥助)。おもな官位は摂津守、従五位下。利休十哲のひとりで号は道薫。なお、「浮世絵の祖」といわれる岩佐又兵衛は村重の子孫のひとりといわれる。 もともと摂津の池田勝正に仕えていたが、のちに織田信長に…

高山右近

通称は彦五郎。号は南坊等伯。官位は従五位下・大蔵少輔。キリシタン大名として知られ、ドン=ジュストという洗礼名を持つ。 茶道にも通じ、千利休の七高弟(利休七哲)のひとりとしても有名。初め松永久秀に仕えたが、十五代将軍・足利…

森可成

別名は満・与三・三左衛門尉・三左衛門。織田信長の小姓・森蘭丸の父としても有名。 早くから織田信長に仕え、信長の家督相続や尾張国統一などに尽力した。数々の戦功により1565年には美濃国の金山(兼山)城を与えられた。信長上洛…

佐々成政

生年は1516年説、1539年説もあり。 別名は内蔵助。主な官位は陸奥守、従五位上、従四位下侍従。早くから織田信長に仕え、永禄年間の初め頃には信長親衛隊「黒母衣衆」の筆頭に抜擢される。数多くの戦いに従軍し武功を挙げた。 …

九鬼嘉隆

あだ名は海賊大名。おもな官位は大隅守、宮内少輔、右馬允、従五位下。織田信長に仕え織田水軍を編成し大将として活躍。1578年の第二次木津川口の戦いでは毛利水軍600艘を撃破し、この武功により伊勢志摩で3万5000石を拝領、…

丹羽長秀

幼名は万千代。通称は五郎左衛門。別名は惟住長秀。官位は越前守。あだ名は鬼五郎左、米五郎左。 少年の頃より織田信長に仕え、多くの戦いに参戦し武功を挙げる。政治面でも重用され、安土城築城の際には普請奉行を務めた。織田信長没後…

織田信忠

幼名は奇妙丸。別名は信重、信忠。通称は勘九郎、三位中将、岐阜中将。 織田信長の息子(嫡男で世子)。本能寺の変にて自刃。

織田信秀

通称は三郎。あだ名は尾張の虎、器用の仁。織田信長の父である。美濃の斎藤道三と激しい戦いを繰り広げた。

池田輝政

幼名は古新、照政。通称は三左衛門、岐阜侍従、吉田侍従、播磨宰相、姫路宰相。おもな官位は武蔵守・参議・右近衛少将。あだ名は西国将軍。 豊臣秀吉に仕え、輝政も秀吉の引き立てに応えることで軍功を重ねる。輝政が正室を失ったときに…

池田恒興

通称は勝三郎、紀伊守。別名は信輝。号は勝入。 清洲会議での四宿老のひとり(ほか、柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉)。織田信長の乳母・養徳院の子。長久手の戦いで戦死。

小早川隆景

幼名は徳寿丸。別名は又四郎、筑前宰相。おもな官位は中務大輔・参議・権中納言。 毛利元就の三男。小早川家に養子に入り家督を継ぐ。毛利宗家を支え、兄の吉川元春とともに「毛利両川」と呼ばれた。 戦場のみならず政治面での活躍も目…

尼子晴久

幼名は三郎四郎。通称は藤次郎。おもな官位は民部少輔。 尼子経久の孫にあたる。父が若くして亡くなったため、祖父から家督を継いで当主となる。毛利元就や大内義隆らと中国地方の覇権を争った。

佐竹義重

幼名は徳寿丸。通称は次郎。おもな官位は常陸介。あだ名は鬼義重、坂東太郎。佐竹氏第18代当主。 現在の茨城県を領土とし、関東の覇者・北条氏と東北王・伊達政宗に南北から挟撃されながらも、これらと互角の戦いを展開した歴史に残る…

最上義光

幼名は白寿。通称は源五郎、二郎太郎。おもな官位は出羽守・右京大夫・左近衛少将。あだ名は高楡小僧丸、出羽殿、虎将。 伊達政宗の伯父にあたる。出羽を統一しようと、大崎氏や甥の伊達政宗と戦う。 関ヶ原の戦いでは東軍・徳川家康に…

松永久秀

松永弾正(まつながだんじょう)としても知られる。 数々の裏切りや時の将軍殺害、東大寺大仏殿の焼失などにより、日本三大梟雄のひとりに数えられる(ほか、北条早雲、斎藤道三)。 はじめは三好長慶に仕えたが、長慶の死後に三好三人…

顯如

本願寺第十一世法主。各地の大名支配を脅かした一向一揆を掌握しつつ、細川家や公家との姻戚づくりを進めることで、大名に匹敵する支配力を持つ。本願寺教団は顕如の時代に最盛期を迎える。 1570年には織田信長と開戦。将軍・足利義…