大原重徳

幕末の尊皇攘夷派の公家。通称は常麿。孝明天皇に重用された。日米修好通商条約調印の勅許を求める幕府に岩倉具視らと反対し、一時、謹慎を命じられた。1862年(文久2)には幕府に政治改革を求める勅使となり、薩摩藩兵に警護され江…

間部詮勝

鯖江藩第7代藩主。徳川幕府老中首座。 大老・井伊直弼の右腕として、日米修好通商条約の調印や安政の大獄で実績を残し、ついた異名は、「井伊の赤鬼」に並ぶ「間部の青鬼」。 しかし、安政の大獄の捕縛者の処遇を巡り、死罪を含む重罪…

徳川慶勝

尾張藩14代・17代藩主。高須四兄弟の一人(ほか、尾張藩15代藩主・徳川茂徳、会津藩主・松平容保、桑名藩主・松平定敬)。尊王攘夷を思想のベースとして、内政では、倹約による財政改革を行う。外政では、攘夷の立場から井伊直弼が…

鵜飼幸吉

父は鵜飼吉左衛門。 日米修好通商条約調印を不満に思う孝明天皇から水戸藩に下賜された密勅(戊午の密勅)を、 水戸藩の窓口として受領、江戸藩邸に届けるという大役を担う。(本来は、父・鵜飼吉左衛門の任であったが、父が持病悪化の…

井上清直

川路聖謨の実弟。老中・阿部正弘の抜擢により下田奉行に就任。 岩瀬忠震とともに、全権として日米修好通商条約締結に尽力した。

岩瀬忠震

幕末三俊のひとり(ほか、水野忠徳、小栗忠順)。 別名は修理、通称は篤三郎。 老中首座・阿部正弘に才能を見いだされ、主に外交官として非常なる活躍をみせる。 徹底した積極開国論者であり、全権としてテーブルに臨んだアメリカ総領…

永井尚志

ながいなおむねとも読まれる。玄蕃頭。号は介堂。外国奉行として、ロシアやイギリス、フランスとの通商条約調印を行なう。政争・将軍継嗣問題では一橋派を支持していたため失脚。井伊直弼没後は復帰。生来の交渉能力を発揮して、禁門の変…

井伊直弼

大老を就任後、開国施策を強行。井伊直弼、曰く「臨機応変に対応すべきで、積極的に交易すべきである」。孝明天皇の勅許を得るという最も重要な手続きを踏まぬまま、アメリカとの日米修好通商条約に調印。さらに国内の反対勢力に対して、…

三条実万

三条実美の父。日米修好通商条約への勅許問題では、関白・九条尚忠と対立した。

正親町三条実愛

積極的に宮中工作により、幕末において大きな存在感を持っていた公家である。 通商条約締結の勅許を求める徳川幕府の強引な姿勢に、廷臣八十八卿の一人として抗議活動を展開。結果、井伊直弼が主導する安政の大獄によって刑罰を受ける。…

姉小路公知

尊王攘夷派の公家。日米修好通商条約締結に反対する公家によるまさかの抗議行動(廷臣八十八卿列参事件)の指導者として活動。三条実美とともに江戸の徳川幕府に攘夷実行を催促し、家光以来、約230年ぶりの将軍上洛を実現させるなど時…

孝明天皇

1846年に即位した第121代天皇。仁孝天皇の第四皇子。在位21年にして崩御。 ペリー来航後は、より強硬な攘夷論者となり、開国の幕府への発言力を高める。 幕府老中首座・堀田正睦が求めた日米修好通商条約の勅許を、孝明天皇は…