朝比奈泰朝

今川家の重臣で遠江国掛川城主。おもな官位は備中守、左京亮。父・朝比奈泰能の死後に家督を相続、1560年の今川義元による尾張侵攻にも従軍し、織田方の鷲津砦を攻略した。だが、同じ頃、桶狭間において主君・義元が織田信長によって…

本荘繁長

上杉家の重臣で越後本庄城主。通称は弥次郎。号は雨順斎全長。官位は越前守。 上杉謙信に仕え、川中島合戦や関東出兵などに参加し各地を転戦、持ち前の武勇をもって大いに武功をあげた。 しかし、1568年、謙信からの独立を図り武田…

色部勝長

長尾為景、晴景、上杉謙信と上杉3代に仕えた重臣。 鎌倉時代から戦国時代にかけて越後北部に割拠した豪族「揚北衆」のひとりで岩船郡小泉庄平林城主。通称は弥三郎。官位は修理進。上杉謙信からあつく信頼され、1561年の第四次川中…

伊達成実

伊達政宗の重臣中の重臣。亘理伊達氏の初代当主。 幼名は時宗丸。仮名は藤五郎。受領名は兵部。官位は安房守。 伊達成実は1568年、大森城主・伊達実元の嫡男として誕生、1583年に家督を相続し大森城主となった。武勇に優れ、1…

誠仁親王

第106代天皇・正親町天皇の第五皇子。院号は陽光院。追尊は陽光太上天皇。1568年に親王宣下を受けた。 織田信長とは親密な関係を築いており、信長から二条新御所を献上されそこを屋敷とした。1582年の本能寺の変の際、誠仁親…

正親町天皇

第106代天皇。諱は方仁。 後奈良天皇の第2皇子として誕生し、1557年、父・後奈良天皇の崩御を受けて践祚した。当時、朝廷の財政は非常に逼迫しており、後奈良天皇の葬儀費にも困るほどで資金調達に時間がかかり、後奈良天皇の遺…

足利義栄

室町幕府十四代将軍で、室町幕府歴代将軍のなかで唯一、京に入ることができなかった人物。生年は1540年説もある。 初名は義親。法号は光徳院。おもな官位は、征夷大将軍、左馬頭、従五位下。 足利義栄は十二代将軍・足利義晴の弟で…

村井貞勝

織田信長の側近中の側近で、京都所司代を務めた。 通称は吉兵衛。号は春長軒。おもな官位は長門守、民部少輔、民部丞。 早くから織田信長に仕え、行政手腕に秀でていたことから重用された。1568年に信長が足利義昭を擁して上洛した…

六角義賢

通称は四郎。法名は承禎。官位は従五位下左京大夫。父は近江の守護・六角定頼。 1552年、父・定頼の死去にともない義賢は家督を相続、近江の名門・六角家の当主となった。その6年後には早くも長男・義弼(義治)に家督を譲り、自ら…

尼子勝久

幼名は孫四郎。1553年に新宮党尼子誠久の息子(5男)として誕生したが、翌1554年、祖父・国久と父・誠久が尼子宗家の権力強化を狙う尼子晴久によって粛清されてしまう。勝久は難を逃れ、京の東福寺で出家し僧となった。 それか…

朝倉義景

越前に君臨した戦国大名・朝倉氏最後となる十一代当主。 父は朝倉孝景、母は武田氏の一族の娘。幼名は長夜叉。初名は孫次郎延景。おもな官位は従四位下左衛門督。義景は1533年9月24日に朝倉氏十代当主・朝倉孝景の息子(長男)と…

佐久間盛政

幼名は理助。その勇猛さから「鬼玄蕃」とあだ名された。官位は玄蕃允。父は織田信長の家臣・佐久間盛次、母は柴田勝家の姉。織田家筆頭家臣だった佐久間信盛は盛政の叔父にあたる。 佐久間盛政は父と同じく織田信長に仕え、1568年の…

古田織部

一般的には武将・古田重然としてより、「織部好み」と呼ばれる大胆かつ自由な気風を特色とする流行を生んだ茶人・古田織部として知られている。 初名は景安。名は重然。通称は左介。別名を古左、古織とも。おもな官位は織部正、従五位下…

黒田長政

幼名は松寿丸。通称は吉兵衛。洗礼名はダミアン。おもな官位は甲斐守、筑前守、従五位下、従四位下。父は豊臣秀吉の名軍師として名高い黒田孝高(官兵衛、如水)。 1568年12月3日に黒田孝高の嫡男として誕生した黒田長政は、15…

足利義昭

十二代将軍・善晴の子で室町幕府最後の将軍。 初名は義秋。法名は覚慶、昌山。あだ名は鞘公方。おもな官位は征夷大将軍、左馬頭、権大納言。 足利将軍家の家督相続者ではなかったため仏門に入っていたが、兄・足利義輝が松永久秀ら「三…

今井宗久

名は兼員。初名は久秀。通称は彦八郎(のち彦右衛門)。 生まれは大和国ともいわれる。 茶湯の天下三宗匠のひとり(ほか、千利休・津田宗及)。独立都市・堺の豪商にして茶人。 号は昨夢庵寿林。屋号は納屋。名は兼員、初名を久秀、通…

織田信長

戦国の三英傑のひとり(ほか、豊臣秀吉・徳川家康)。 幼名は吉法師。通称は三郎。おもな官位は上総介(読み方 かずさのすけ)・右大臣(右府)。 あだ名は第六天魔王、大うつけ、赤鬼。号は建勲。織田信長は、尾張国の戦国大名・織田…