池大雅

江戸時代中期の文人画家、書家。与謝蕪村とともに「日本の文人画の大成者」といわれる。妻の玉蘭(ぎょくらん)も画家として知られる。本来の姓は「池野」だが中国風に「池」と名乗った。幼名は又次郎、諱は勤、無名(ありな)、字は公敏…

薬丸兼武

江戸時代後期の剣客。「野太刀自顕流(薬丸自顕流)」の創始者として知られる。通称ははじめ七郎兵衛ついで新蔵、長左衛門。諱は兼尭、兼武。薩摩藩士・久保之英の子として生まれるが、剣術家・薬丸兼富の養子となり薬丸家を継いだ。薬丸…

辰松八郎兵衛

江戸時代前期から中期の人形浄瑠璃の人形遣い。本名は不明。大坂の竹本座で創設時から活躍し、「手妻遣い」といわれるアクロバティックな超絶技巧で女形人形遣いとして一世を風靡した。八郎兵衛は手妻芸を人形遣いの山本飛騨掾のもとで修…

津太夫

江戸時代後期の漂流者。嵐に遭遇し、結果的に日本人として初めて世界一周を果たした。陸奥国仙台藩の浦戸諸島寒風沢島(現・宮城県塩釜市)に生まれた。1793年(寛政5)、若宮丸の水主(かこ)として石巻を出航、江戸へ向かったがそ…

間宮林蔵

江戸時代後期に活躍した探険家、幕府の隠密。蝦夷地方を探検し、樺太(サハリン)が島であることを確認した。名は倫宗(ともむね)。常陸国筑波郡上平柳村の農家の子として生まれる。幕府による利根川東遷事業に参加した際、地理や算術の…

近藤長次郎

土佐の商家出身。饅頭屋の倅であることから、ついたあだ名は「饅頭屋長次郎」。別名は上杉宋次郎。同藩の岩崎弥太郎や坂本龍馬との親交が深い。坂本龍馬が設立した亀山社中にも参加。特に商売の才覚があり、早くから山内容堂にも認められ…

西郷従道

薩摩藩士。西郷隆盛の弟。正式な読みは、さいごうじゅうどう。軍人であり政治家。多くの薩摩人が後を追った征韓論を巡る西郷隆盛の下野では、兄である隆盛を追わず新政府に留まった。明治10年の西南戦争においても、陸軍卿代理をつとめ…

新島八重

同志社大学(前身は同志社英学校)を興した新島襄の妻。結婚前は山本八重。(新島八重子との説もある) 幕末・明治時代を生きた女性としては珍しいエネルギッシュな言動で、数々の逸話を残す。 会津藩が迎えた幕末の戊辰戦争では、断髪…

川路聖謨

幕末の名官吏として名高い。ペリー来航時、開国のため国書の受理を主張する。 外交では日露和親条約の交渉、アメリカ総領事はリスの応接掛を務めるなど大いに活躍する。 新政府軍による江戸総攻撃の予定日に、自ら命を絶つ。割腹のうえ…

永井尚志

ながいなおむねとも読まれる。玄蕃頭。号は介堂。外国奉行として、ロシアやイギリス、フランスとの通商条約調印を行なう。政争・将軍継嗣問題では一橋派を支持していたため失脚。井伊直弼没後は復帰。生来の交渉能力を発揮して、禁門の変…

松旭斎天勝

大正時代に人気があった女流奇術師。松旭斎天一(しょうきょくさい てんいち)に技を学び、天一一座の花形として頭角を現す。キュートなルックスとモダンな衣装で披露するマジックショーは、大正時代の人々を熱狂させた。アメリカ興行も…

幸田露伴

尾崎紅葉とともに、明治文壇の重鎮として『紅露時代』を築いた小説家。随筆にも定評があり、第一回文化勲章受賞者。代表作は『五重塔』。

尾崎紅葉

小説家。明治時代の文壇において幸田露伴とともに重鎮とされ『紅露時代』と並び称された。後年たびたび映画・ドラマ化された貫一お宮でしられる代表作『金色夜叉』は、執筆中に紅葉が亡くなったため未完である。

与謝野晶子

おもに明治から大正時代にかけて活躍した歌人。本名は与謝野志よう(よさのしょう)。夫は歌人・与謝野鉄幹。日露戦争に従軍した弟に向けて歌った『君死にたまふことなかれ』という一節はあまりにも有名である。代表作は歌集『みだれ髪』…

立見尚文

通称、立見鑑三郎。戦術指揮の天才として名高い。戊辰の北越戦争や明治の内乱、日清戦争と日露戦争などでことごとく活躍。特に、北越戦争で雷神隊を率いたゲリラ展開、日露戦争における黒溝台会戦の救援戦は、伝説的なエピソードして知ら…

内山小二郎

陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。 日露戦争では川村景明司令官が率いる鴨緑江軍の参謀長として出征。本来は朝鮮半島を担当する軍であったが、大山巌が「関ヶ原」に例えた総力戦・奉天会戦に参加した。

川村景明

陸軍軍人。最終階級は元帥陸軍大将。 日清戦争では近衛歩兵第1旅団長として出征。 日露戦争では鴨緑江軍司令官に就任。本来朝鮮半島と担当する軍となるが、総力戦となった奉天会戦にも参戦している。

上原勇作

陸軍軍人、陸軍大臣を務める。軍人としての最終階級は元帥陸軍大将。 17歳から野津道貫の書生をしていた。野津から今後の工兵の重要性を聞かされていた上原は、陸軍士官学校では工兵科に進学。 同期となる第1回卒業生には秋山好古や…

野津道貫

陸軍軍人、貴族院議員。軍人としての最終階級は元帥陸軍大将。野津鎮雄は実兄。 陸軍の歴史に残る名将。戊辰戦争(鳥羽伏見の戦い、会津戦争、函館戦争)、西南戦争、日清戦争、日露戦争といった、幕末から明治に至る戦争でことごとく比…

松永正敏

陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 明治7年に台湾出兵、明治10年の西南戦争では政府軍として出征。 日清戦争では歩兵第2連隊長。日露戦争では当初歩兵第3旅団長を務めていたが、奉天会戦時に伊地知幸介の後をうけ、乃木希典率いる第…

大迫尚道

陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。陸軍大学校教授を経て、日清戦争では第1軍参謀として出征。日露戦争では名将・奥保鞏司令官が率いる第2軍の参謀長を務め、日本の勝利に貢献。

奥保鞏

陸軍軍人。最終階級は元帥陸軍大将。 西南戦争では政府軍として熊本篭城戦に参加。城を包囲する薩摩軍を突破し、政府軍に連絡する勇猛な活躍をみせる。 日清戦争では第1師団長に転任する野津道貫の後を受けて、第5師団長を担当。日露…

藤井茂太

最終階級は陸軍中将。10人しかいない陸軍大学校第一期生である。同期は秋山好古ら。日清戦争には参謀として従軍後、陸軍大学校校長を務める。日露戦争では、黒木為禎率いる第1軍参謀長として出征。常勝軍団を参謀として支えた。 日露…

黒木為楨

最終階級は陸軍大将。薩摩武士らしい猪突猛進を好みつつも、戦場で重ねた経験と感による采配は抜群の冴えをみせた。日露戦争では第1軍司令官を担当。緒戦の鴨緑江から遼陽、沙河、黒溝台、奉天と連戦。日露戦争での陸軍の快進撃に大きく…

川上操六

最終階級は陸軍大将。「明治陸軍の三羽烏」のひとり(ほか、桂太郎、児玉源太郎)。明治17年、大山巌陸軍卿に随行し海外へ渡航。欧米の兵制を視察する。日清戦争では、外務大臣・陸奥宗光とともに開戦を主導した。開戦後は陸軍上席参謀…

伊東祐亨

最終階級は元帥海軍大将。幕末に勝海舟の神戸海軍操練所で、塾頭の坂本龍馬や睦奥宗光らと海軍の英才教育を受け、才能を磨いた。 日清戦争では日本海軍初代連合艦隊司令長官として、黄海海戦で勝利を導くなど活躍。日本不利という戦前の…

岩村俊武

海軍中将。幼名は団次郎のち教通。日清戦争、日露戦争ではおもに連絡将校。水雷戦術が得意であった。 日露戦争後は、「吾妻」艦長や「香取」艦長を歴任した後、朝鮮総督府付武官となる。

八代六郎

海軍大将。海軍兵学校の教官として、秋山真之や広瀬武夫を指導。 日露戦争では戦艦「浅間」艦長として参戦。旅順港閉塞作戦では指揮官を志願したが、東郷平八郎に却下された。なお、八代は旅順港閉塞作戦での戦死者の遺児を成人するまで…

乃木静子

陸軍大将・乃木希典の妻。20歳のとき、同郷の伊地知幸介や野津鎮雄らの勧めにより、乃木希典と結婚(乃木は鹿児島の女子しか嫁に貰わぬ、と常々言っていた)。 日露戦争に出征する夫・希典と2人の息子(勝典・保典)らに、戦死したと…

津田三蔵

警察官、軍人。大津事件とよばれるロシア帝国皇太子ニコライ暗殺未遂事件を起こす。津田は来日中の皇太子を沿道警備の職務中に突然サーベルで斬りつけた。事件を受けて、ロシアの侵攻が始まるのではないかと日本国中は震撼。 外国の皇族…

栗野慎一郎

初代駐フランス特命全権大使。ハーバード大学留学中に、金子堅太郎や小村壽太郎と親交を結ぶ。ロシア政府に対して日露戦争の宣戦布告文を提出したのは、当時駐ロシア公使であった栗野慎一郎である。

明石元二郎

陸軍大将。日露戦争時、明石は表立った活動ではなく諜報活動を担当。ロシアの国情研究や情報収集にとどまらず、反政府組織とコネクションを作り、彼らを通してロシア政情を不安定にさせる多数の工作(ストライキ、サボタージュ、武力蜂起…

日高壮之丞

海軍大将。日清戦争では巡洋艦「橋立」艦長として戦功を立て、海軍内で確たるポジションを築く。日露戦争では、戦時編成前に常備艦隊司令長官を務めていたが、プライドの高さや協調性に少し欠けることを不安視され、連合艦隊編成時に更迭…

有馬良橘

海軍大将。日露戦争において、旅順港閉塞作戦(古い艦船を湾口に自ら沈めることで、敵艦隊の湾通行を不可能にする作戦)を立案。作戦実行中は、敵からの攻撃をまともに受けることとなり実行部隊のリスクがきわめて大きい。有馬良橘は3度…

金子堅太郎

伊藤博文の懐刀として明治憲法の起草に携わり、日露戦争では渡米し外交交渉・工作を行なうなど、明治の政治において多大なる功績を残す。教育者としても、日本法律学校(現日本大学)初代校長、二松学舎専門学校(二松學舍大学)舎長をつ…

伊地知幸介

陸軍中将。日露戦争において、乃木希典総司令官のもとで参謀長を務め、かの有名な「旅順要塞」攻略に挑んだ。最終的には児玉源太郎の協力もあり、難攻不落の要塞をおとすことには成功。しかし死傷6万人という途方もない犠牲者を出したこ…

乃木希典

陸軍大将。乃木大将、乃木将軍と呼ばれる。日露戦争では、難攻不落とよばれた旅順要塞を攻略したことから、海軍の東郷平八郎とともに、英雄とされる。一方で、旅順要塞攻略の最終的な戦術立案は児玉源太郎によるものであることや、死傷6…

児玉源太郎

最終階級は陸軍大将。「明治陸軍の三羽烏」のひとり(ほか、川上操六、桂太郎)。日露戦争では、戦略立案や戦闘指揮、ロシアへの政治工作など八面六臂の活躍をみせ、「100年にひとりの知将」「天才」とよばれる。特に有名な功績は、迅…

広瀬武夫

日露戦争でのエピソードで知られる海軍中佐。旅順港閉塞作戦にて、閉塞船・福井丸の自沈を指揮。撤退時に部下・杉野孫七上等兵曹の姿が見当たらないことに気づき、沈没直前の福井丸に単身戻り、杉野を探している際に敵軍の砲弾を浴び戦死…

東郷平八郎

元帥海軍大将。明治時代の大きな戦い日清・日露戦争での勝利に多大なる貢献を果たした。 特に日露戦争では連合艦隊司令長官として、勝ち目がないと思われた日本海海戦において、ロシア・バルチック艦隊を破るなど、奇跡的な活躍を果たし…

秋山好古

最終階級は陸軍大将であり、通称「日本騎兵の父」。当時列強諸国に遅れをとっていた日本の騎兵を育成からほとんど一人で担当。日露戦争では、みずから練兵してきた騎兵を率いて、当時世界最強とよばれていたロシア・コサック騎兵をやぶる…

秋山真之

幼名は淳五郎(じゅんごろう)。海軍中将。作戦担当参謀として参加した日露戦争では、連合艦隊司令長官・東郷平八郎のもと「丁字戦法」を立案。当時最強といわれていたロシア・バルチック艦隊を日本海海戦で撃破する歴史的勝利を導いた。…

加藤友三郎

(1861~1923) 海軍軍人・政治家。元帥。広島県生まれ。日露戦争の連合艦隊参謀長。四度、海相を歴任。ワシントン軍縮会議の首席全権。翌年首相。

児島惟謙

(1837~1908) 明治時代の裁判官。宇和島藩出身。大審院長の時ロシア皇太子ニコライが襲われた大津事件の裁判にあたり、犯人津田三蔵の死刑を要求する政府の圧力をしりぞけて無期徒刑とし、司法権の独立を守った。

内村 鑑三

(1861~1930) キリスト教思想家。江戸生まれ。札幌農学校在学時キリスト教に入信。日露戦争開戦にあたっては非戦論を唱えた。雑誌「聖書之研究」を創刊。従来の教会的キリスト教に対し無教会主義を主唱。著「基督(キリスト)…

桂太郎

(1847~1913) 政治家・陸軍大将。長州藩の人。ドイツ兵制を学び、陸軍建設に尽力。三度組閣し、日英同盟締結・日露戦争・韓国併合などに当たる。1913年(大正2)憲政擁護運動に批判されて辞職(大正政変)。

大沢真司

大沢真司(おおさわしんじ/中沢真/中沢栄司:1980/1/11-)身長168cm、66kg、O型、東京都出身。趣味のウェイトトレーニングで鍛え上げた色白マッチョな肉体と、端正なイケメンフェイスが魅力的なAV男優。代表作の…

桃瀬瑠加ももせるか / Momose Ruka

桃瀬瑠加 (ももせるか / Momose Ruka) 別名 本上遥(着エロ) (ほんじょうはるか / Honjo Haruka) 生年月日 1994年09月23日 (現在 24歳)てんびん座 サイズ T160 / B85…

矢口レイナやぐちれいな / Yaguchi Reina

矢口レイナ (やぐちれいな / Yaguchi Reina) 別名 山口怜奈【独占】 (やまぐちれいな / Yamaguchi Reina) 生年月日 1986年09月30日 (現在 32歳)てんびん座 サイズ T152…