木下順庵

江戸時代前期の儒学者。名は貞幹、字は直夫、通称は平之允、号はほかに錦里、敏慎斎、薔薇洞。五人兄弟の次男として京の錦小路にて生まれる。幼い頃から頭脳明晰で神童と称され、儒学者・藤原惺窩の弟子・松永尺五に師事し学問に励んだ。…

雨森芳洲

江戸時代中期の儒学者。諱は俊良のち誠清(のぶきよ)、通称は藤五郎・東五郎、号は芳洲、字を伯陽、漢名として雨森東を名乗った。近江国伊香郡雨森村(現・滋賀県長浜市高月町雨森)にて医者の子として生まれた。はじめ医者を志し京で医…

鷹見泉石

江戸時代後期の武士、蘭学者。下総国古河藩の家老を務めた。名は忠常、通称は又蔵、十郎左衛門、字は伯直、号はほかに楓所(ふうしょ)、泰西堂、可琴軒(かきんけん)。また、西洋名としてヤン・ヘンドリック・ダップルを用いた。古河藩…

谷文晁

江戸時代後期の画家。名は正安、字と号は文晁、通称は文五郎または直右衛門、別号に写山楼・画学斎・無二・一恕。御三卿のひとつ田安徳川家の家臣で漢詩人としても知られた谷麓谷(ろっこく)の子として、江戸は下谷根岸にて生まれた。文…

鈴木其一

江戸時代後期の絵師、「江戸琳派」の創始者・酒井抱一の高弟で、事実上の後継者。本姓は山本、通称は為三郎、字は子淵、諱は元長、号はほかに薈々、菁々、必庵、錫雲、祝琳、為三堂、鶯巣、元阿など。江戸は中橋にて紺屋の子として生まれ…

蠣崎波響

江戸時代後期の画家、松前藩家老。通称は将監、字は世祜、画号はほかに東岱、杏雨、京雨、別号に梅香舎、梅痩舎、柳民舎、滄岡軒。松前藩12代藩主・松前資広の子として生まれるが、翌年に父が他界し兄が跡を継いだため、家老・蠣崎家の…

池大雅

江戸時代中期の文人画家、書家。与謝蕪村とともに「日本の文人画の大成者」といわれる。妻の玉蘭(ぎょくらん)も画家として知られる。本来の姓は「池野」だが中国風に「池」と名乗った。幼名は又次郎、諱は勤、無名(ありな)、字は公敏…

岩佐又兵衛

江戸時代初期の絵師。「浮世絵の元祖」ともいわれる。一般に知られる「又兵衛」は通称で、諱は勝以(かつもち)。摂津国河辺郡伊丹(現・兵庫県伊丹市)の有岡城主・荒木村重の子として生まれたが、村重が主君・織田信長に反逆し城は落ち…

青木木米

江戸時代後期の絵師、京焼の陶工。永楽保全、仁阿弥道八(にんなみどうはち)とともに「京焼の幕末三名人」といわれる。幼名は八十八(やそはち)、字は佐平、通称は木屋佐兵衛。号はほかに青来、百六散人、古器観、亭雲楼、九九鱗、木米…

山片蟠桃

江戸時代中期の商人、学者。本名は長谷川芳秀(よしひで)、通称は升屋小右衛門。播磨国印南郡神爪村(現・兵庫県高砂市)の農家に生まれ、13歳の時に大坂の伯父の養子となり両替商へ丁稚奉公へ出た。しかし本の虫だった蟠桃は役に立た…

間重富

江戸時代後期の天文学者。大坂の裕福な質屋の子として生まれ、その跡を継ぎ家業もよくした。天文に興味を持ち、大坂の天文学者・麻田剛立に入門し天文学を学んだ。1795年(寛政7)、同門の高橋至時とともに幕府に招かれ江戸に出て改…

高橋至時

江戸時代中期から後期の天文学者。弟子に日本地図作成で名高い伊能忠敬がおり、忠敬とともに測量事業を行い、忠敬没後に『大日本沿海輿地全図』を完成させた天文学者・高橋景保は至時の子。字は子春、通称は作左衛門、号は東岡、梅軒。大…

麻田剛立

江戸時代中期の天文学者。幼名は庄吉良、名は妥彰(やすあき)、もとの姓は綾部。号ははじめ璋菴(正庵とも、読みはしょうあん)のち剛立。豊後国杵築藩(現・大分県杵築市)の儒学者・綾部安正の子として生まれる。幼い頃から天体に興味…

芦東山

江戸時代中期の儒学者。陸奥国東磐井郡(現・岩手県一関市大東町渋民)の農家に生まれ、幼い頃から秀才ぶりを知られ、15歳で農民の出ながら仙台藩の儒学者となると、19歳の時には藩主に御前講義を行った。藩命により京に遊学し名だた…

吉益東洞

江戸時代中期の名医。江戸時代に起こった漢方医術の一派「古方派(こほうは)」を代表する医師で、「日本近代医学中興の祖」と呼ばれる。名は為則、通称は周助、号ははじめ東庵のち東洞。安芸国山口町(現・広島県広島市)の医師の家に生…

祇園南海

江戸時代中期の文人画家、儒学者、漢詩人。桑山玉洲、野呂介石とともに「紀州三大南画家」といわれる。また、服部南郭、柳沢淇園、彭城百川とともに「日本文人画の祖」とされる。本姓は源、名は与一郎、正卿、瑜、字は白玉、通称は余一。…

野呂介石

江戸時代後期の文人画家。祇園南海、桑山玉洲とともに「紀州三大南画家」といわれる。名は休逸のち隆または隆年、字は松齢、通称は弥助のち九一郎、喜左衛門。号はほかに班石、十友窩(じゅうゆうか)、澄湖(ちょうこ)、混斎、台嶽樵者…

福原五岳

江戸時代中期の文人画家。名は元素、字は太初、通称は大助、号はほかに玉峰、楽聖堂など。備後国尾道(現・広島県尾道市)にて生まれ、京に上ると画家・池大雅に入門した。五岳は人物画や山水画を得意とし大雅の高弟として知られるように…

頼春水

江戸時代中期から後期の儒学者、詩人。幕末の思想家・頼山陽の父。弟の頼杏坪(きょうへい)、頼春風とともに「三頼」と称される。幼名は青圭、諱は惟完あるいは惟寛、字は千秋、伯栗、通称は弥太郎。春水は大坂で用いた号で、江戸では霞…

高芙蓉

江戸時代中期の儒学者、篆刻家、画家。日本における印章制度を確立した人物として知られ「印聖」と称される。苗字の「高」は出身地の甲斐国高梨郡にちなんで名乗ったもの(ただし高梨という郡名は存在しない)。本姓は大嶋、源、名は孟彪…

売茶翁

江戸時代中期の黄檗宗の僧。「煎茶の中興の祖」「茶神」として知られる。本名は柴山元昭、幼名は菊泉、法名は月海、還俗後は高遊外(こうゆうがい)とも称した。肥前国蓮池の領主・鍋島家に仕える御殿医の父・柴山杢之進の子として、肥前…

木村蒹葭堂

江戸時代中期から後期の文人、画家、本草学者、コレクター。名は孔恭、幼名は太吉郎、字は世肅、通称は坪井屋(壺井屋)吉右衛門、号はほかに巽斎。号の蒹葭堂はもともと書斎の名で「蒹葭」とは葦のことであり、庭に井戸を掘った時に葦が…

松浦静山

江戸時代中期から後期の大名、肥前国平戸藩の9代藩主。幼名は英三郎、名は清。一般に号の「静山」の呼び名で知られる。隠居後に20年かけて綴り続けた随筆集『甲子夜話(かっしやわ)』の著者として名高い。松浦氏は嵯峨源氏の末流にし…

古川古松軒

江戸時代中期から後期の地理学者、紀行家。本姓は橘、名は正辰、字は子曜、通称は平治兵衛、別号に竹亭、黄薇主人。備中国下道郡新本村(現・岡山県総社市新本)にて生まれ、幼くして母と死別した。若い頃については不明だが、かなり荒れ…

本間光丘

江戸時代中期の豪商。山形県酒田市に伝わる俗謡「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」で知られる豪商・本間家の三代目。「本間三郎四郎」とも。23歳で家督を継ぎ、1758年(宝暦8)から行った酒田の西浜の防砂林事業で…

幡随院長兵衛

江戸時代前期の町奴の頭領、「侠客の元祖」ともいわれる。本名は塚本伊太郎。唐津藩の浪人・塚本伊織の子とされるが諸説ある。江戸の花川戸に住み、大名や旗本への奉公を斡旋する口入屋を家業とするが、腕っぷしの強さと統率力から町奴の…

宝井其角

江戸時代前期の俳諧師。本名は竹下侃憲(ただのり)、別号に螺舎(らしゃ)、狂雲堂、晋子など。近江国膳所藩御殿医・竹下東順の長男として江戸にて生まれ、10代の時に父の紹介により松尾芭蕉の門弟となり、「蕉門十哲」のうち一番の高…

白隠慧鶴

江戸時代中期の禅僧で、「臨済宗中興の祖」と称される。幼名は岩次郎、別号に鵠林(こうりん)。駿河国原宿(現・静岡県沼津市)の長沢家の三男として生まれる。子どもの頃、寺で地獄のようすを知ると恐怖し、12歳の時に出家を発心する…

成島柳北

江戸時代末期の将軍侍講、奥儒者、文学者、ジャーナリスト。幼名は甲子麿(こしまろ)。武蔵国浅草御厩河岸(現・東京都台東区蔵前)の松本家に生まれ、のち、代々奥儒者を務める成島家の養子となり、養父の跡を継いで奥儒者となり成島柳…

天秀尼

江戸時代前期の女性で、東慶寺20世住持。父は豊臣秀頼、家康の孫で秀頼の正室である千姫は養母。俗名は不明。生母も不明。大坂城落城以前の天秀尼については記録がない。1615年(慶長20)に大坂城が落城し、豊臣秀頼とその母・淀…

続豊治

江戸時代末期の船大工。蝦夷地・松前城下の福山(現・北海道松前郡)に生まれ、2歳の時に船大工・続五郎治の養子となり、その後、箱館に移住した。造船技術を船大工・藤山勘八に学び、18歳で高田屋造船場で船工として働くようになった…

辰松八郎兵衛

江戸時代前期から中期の人形浄瑠璃の人形遣い。本名は不明。大坂の竹本座で創設時から活躍し、「手妻遣い」といわれるアクロバティックな超絶技巧で女形人形遣いとして一世を風靡した。八郎兵衛は手妻芸を人形遣いの山本飛騨掾のもとで修…

相馬大作

江戸時代後期の武士。本名は下斗米将真(しもとまいまさざね)、通称は秀之進。弘前藩主暗殺未遂事件「檜山騒動」の首謀者として知られる。一般に知られる「相馬大作」は変名である。盛岡藩領の福岡(現・岩手県二戸)にて生まれ、18歳…

鈴木牧之

江戸時代後期の商人、随筆家。幼名は弥太郎、通称は儀三治(ぎそうじ)、雅号は秋月庵、螺耳など。「牧之」は俳号である。越後国魚沼郡塩沢の豪商「鈴木屋」の子として生まれ、幼い頃から俳諧や書画をたしなんだ。19歳の時に家業の手伝…

菅江真澄

江戸時代後期の旅行者、博物学者、随筆家。本名は白井秀雄、幼名は英二、知之。白超とも。三河国渥美郡牟呂村(現・愛知県豊橋市牟呂公文町)にて生まれたといわれる。若い頃の真澄については資料に乏しく詳細は不明。国学や本草学の知識…

本木良永

江戸時代中期のオランダ通詞、蘭学者。通称は栄之進、仁太夫、字は士清、号は蘭皐。長崎の御用医師・西松仙(にししょうせん)の子として生まれるが、伯父であるオランダ通詞・本木良固の養子となり、オランダ通詞となった。語学に優れ、…

公慶

江戸時代前期の三論宗の僧。丹後国宮津(現・京都府宮津市)にて生まれる。当時、東大寺の大仏殿は戦国乱世の戦火により焼失し、大仏も損傷激しく見るも無残な状態だった。公慶が13歳の時、雨に打たれる大仏を見て「自分には傘があるが…

黒住宗忠

江戸時代後期から幕末の神道家。神道系の新宗教のさきがけとなる「黒住教」の開祖。幼名は権吉、元服後は左之吉、神職を相続後は左京宗忠。備前国御野郡中野村にある今村宮に仕える禰宜の子として生まれ、評判の親孝行者として育った。敬…

荻野検校

江戸時代中期から後期の音楽家。「平曲(へいきょく)」という語りもの音楽のジャンルにおいて平曲譜本の決定版ともいえる『平家正節(へいけまぶし)』を編纂し、「平曲中興の祖」と称えられる。名は知一。安芸国猿楽町(現・広島県広島…

池坊専好(2代目)

江戸時代前期の華道家、池坊32世。「立花(りっか)」の大成者として知られる。初名は専朝。当時の宮廷文化の中心的存在だった後水尾天皇(院)の寵愛を受け、宮中立花の指導者として「紫宸殿御立華会」など数々の立花会で活躍、池坊の…

野々村仁清

江戸時代前期の陶工。通称は清右衛門。丹波国桑田郡野々村(現・京都府南丹市美山町大野)にて生まれ、若い頃から瀬戸などで陶芸の修行に励んだといい、正保年間(1644~48)頃に仁和寺門前に「御室窯(おむろがま)」を開き本格的…

尾形光琳

江戸時代前期から中期に活躍した画家、工芸家。「琳派」の大成者として知られる。初名は惟富、通称は市之丞。京の呉服商「雁金屋」の次男として生まれる。弟に同時代に活躍した陶芸家・尾形乾山がいる。幼い頃から絵画、能楽、茶道、書道…

木内石亭

江戸時代後期の奇石コレクター、本草学者。本姓は拾井、通称は小繁、幼名は幾六、諱は重暁、石亭は号である。近江国志賀郡下坂村(現・滋賀県大津市坂本)に生まれるが、のち、母方の生家・木内家の養子となった。近江南部は名石や奇石の…

円空

江戸時代前期の僧、仏師、歌人。「円空仏」と呼ばれる独特の木彫りの仏像の作者として名高い。円空は生涯に12万体ともいわれる仏像を彫ったといわれ、現在、北は北海道から南は奈良県まで全国各地に5300体以上もの円空仏が確認され…

高尾太夫(2代目)

江戸時代前期の吉原を代表する遊女。「万治高尾」「仙台高尾」「道哲高尾」とも。吉野太夫、夕霧太夫とともに「寛永の三名伎」といわれる。「高尾太夫」は吉原で最も有名な遊女に襲名された名で、「三浦屋」に伝わる大名跡。高尾太夫を名…

夕霧太夫(初代)

江戸時代前期の京の遊女。高尾太夫、吉野太夫とともに「寛永の三名伎」といわれる。本名は照。一説によると現在の京都市左京区嵯峨の近くで生まれたという。最初、京の島原にある「扇屋」の太夫となり、のち「扇屋」の移転にともない大坂…

吉野太夫(2代目)

江戸時代前期にいた京を代表する遊女。本名は松田徳子。夕霧太夫、高尾太夫とともに「寛永の三名伎」といわれた。「吉野太夫」は京を代表する太夫に代々伝わる名跡で、10代まであったといい、初代は吉川英治の小説『宮本武蔵』の登場人…

佐倉惣五郎

江戸時代前期の下総国印旛郡公津村(現・千葉県成田市台方)の名主。本名は木内惣五郎、俗称は宗吾。近世における「義民」の代表とされる人物として有名。佐倉藩主・堀田正信の苛烈な年貢取立てに耐えかね、佐倉領内の村民が藩や幕府老中…

国定忠治

江戸時代後期の侠客。本名は長岡忠次郎。「国定」は生まれ故郷の上野国佐位郡国定村(現・群馬県伊勢崎市国定町)に由来する。天保の大飢饉(1833~)の際、困窮する農民を救済した侠客として、のち講談や映画などで取り上げられ庶民…

八百屋お七

江戸時代前期の少女で、江戸本郷の八百屋の娘。生没年には諸説あり。恋人に会いたい想いから放火をし、その罪により火あぶりの刑に処せられた。井原西鶴の『好色五人女』で取り上げられたことから広くその名が知られるようになり、浮世絵…