小林古径

大正から昭和にかけて活躍した近代日本画の巨匠。本名は小林茂。代表作にして傑作「髪」(重要文化財)は裸婦画として日本で初めて切手のデザインに採用されている。画面に満ちる緊張感と品格、濁りのない色彩、無駄のない描線が古径作品…

天野貞祐

大正から昭和にかけて活躍した哲学者、教育者、文学博士。第3次吉田茂内閣では文部大臣も務めた。また、獨協大学の初代学長でもある。哲学者カントの代表作『純粋性理性批判』を初めて日本語に翻訳したことでも知られる。「学問を通じて…

伊東深水

大正から昭和にかけて活躍した浮世絵師・日本画家・版画家。本名は、一(はじめ)。14歳のとき、近代美人画家の第一人者となる鏑木清方に弟子入りし、「深水」の号を与えられ、腕を磨く。系譜としては、幕末の歌川国芳、水野年方、鏑木…

高畠華宵

大正から昭和に活躍した画家。独特のタッチで描く美少年・美少女画や美人画を、『少女画報』『少女倶楽部』『少年倶楽部』『日本少年』『婦人世界』などで発表。竹久夢二と並ぶ挿絵画家として一世を風靡した。

阪東妻三郎

「阪妻(ばんつま)」の愛称で絶大な人気を誇った銀幕の大スター。本名は田村傳吉。ダイナミックな立ち回りで人気を博し「剣戟王」の異名をとり、大正末期から昭和初期にかけて剣戟ブームを生み出した。5人いる息子のうち3人が俳優で、…

花菱アチャコ

大正から昭和にかけて人気を博した漫才師、喜劇俳優。本名は藤木徳郎。15歳の時に山田九州男の一座に入ったが、のちに漫才に転向し「花菱アチャコ」を名乗った。1930年、横山エンタツとコンビを組み、「早慶戦」などのしゃべくり漫…

秋山徳蔵

「天皇の料理番」と呼ばれた料理人。幼少の頃に禅寺に修行に出され、その後、華族会館、駐日ブラジル公使館、築地精養軒の料理長を歴任した。1909年からフランスに渡り、本格的な西洋料理を学ぶ。帰国後は、社交部ラブの草分けとして…

岡本かの子

大正から昭和初期にかけて活躍した小説家、歌人、仏教研究家。本名は岡本カノ。芸術家・岡本太郎の母としても知られる。大地主の長女として生まれ、何不自由ないお嬢様として育てられたかの子は、若い頃から文学に熱中し、16歳の頃には…

岡本一平

漫画家、作詞家。芸術家・岡本太郎の父親としても知られる。東京美術学校(現・東京芸術大学)の西洋画科に進学、洋画家・藤島武二に師事した。なお、在学中、のちに妻となる岡本かの子と出会っている。卒業後、夏目漱石の紹介により漫画…

高野佐三郎

「昭和の剣聖」と呼ばれる剣道家。流派は中西派一刀流。大正から昭和初期における剣道界の第一人者で、中山博道とともに近代剣道の基礎を築いた。幼い頃より忍藩で剣術指南役をしていた祖父から剣術を学び、上京後は山岡鉄舟に学んだ。警…

速水御舟

大正から昭和初期にかけて活躍した日本画家の巨人。本名は蒔田栄一。幼い頃から絵に興味を持ち、歴史画の名手・松本楓湖に入門、その才能は早くから開花しわずか16歳にして展覧会に作品を出品するまでになった。1911年には「室寿の…

岸田劉生

大正から昭和初期にかけて活躍した洋画家。娘・麗子をモデルとした『麗子五歳之像』『麗子微笑』などのいわゆる「麗子像」シリーズが特に有名。洋画家・黒田清輝に師事し絵を学び、1912年、高村光太郎らとともにヒョウザン会を結成、…

志賀直哉

大正・昭和の小説家。 武者小路実篤や有島武郎らとともに同人誌『白樺』を立ち上げ、日本文学に大きな影響を与えた。 代表作は『暗夜行路』『和解』『小僧の神様』『城の崎にて』など。

木喰五行

江戸時代後期の仏師、歌人。日本全国を遍歴し、「微笑仏(みしょうぶつ)」の名で親しまれる丸みを帯びた身体と大きな笑みを浮かべた仏像を1000体以上製作した。木喰と同じように全国を遍歴し多数の仏像を残した仏師に江戸時代前期の…

本間光丘

江戸時代中期の豪商。山形県酒田市に伝わる俗謡「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」で知られる豪商・本間家の三代目。「本間三郎四郎」とも。23歳で家督を継ぎ、1758年(宝暦8)から行った酒田の西浜の防砂林事業で…

杉文

別名、楫取美和子(かとりみわこ)。吉田松陰の妹。同じ長州藩の松下村塾四天王・久坂玄瑞に嫁ぐ。久坂玄瑞18歳、文が15歳のときのことであった。その後、夫の久坂玄瑞は激動の幕末を動かす中心人物のひとりとして存在感を増すも、薩…

西園寺公望

第12・14代内閣総理大臣。明治時代〜大正時代の代表的な政治家である。 公家として、幼少時は年齢が近かった祐宮(明治天皇)の遊び相手をたびたび務めていた。 戊辰戦争では、山陰道鎮撫総督、会津口征討大参謀として各地を転戦。…

竹内栖鳳

動物を描けばその匂いまで描くと言われ、達人の名を欲しいままにした画家。第1回文化勲章受賞者。大正13年に描いた代表作『班猫』は重要文化財となっている。

松旭斎天勝

大正時代に人気があった女流奇術師。松旭斎天一(しょうきょくさい てんいち)に技を学び、天一一座の花形として頭角を現す。キュートなルックスとモダンな衣装で披露するマジックショーは、大正時代の人々を熱狂させた。アメリカ興行も…

吉井勇

歌人、脚本家。祖父は幕末志士・吉井友実。大正時代の大ヒット曲『ゴンドラの唄』を作詞した(作曲は中山晋平)。ゴンドラの唄の歌い出し「いのち短し 恋せよ少女(おとめ)」は、現在でも親しまれているフレーズである。

中山晋平

大正から昭和にかけて活躍した作曲家。童謡から流行歌、歌謡曲まで多様なジャンルを手がけ、生涯で約1800曲を残した。代表曲は「いのち短し 恋せよ少女(おとめ)」の歌い出しが印象的な『ゴンドラの唄』(作詞:吉井勇)、佐藤千夜…

大杉栄

アナキスト。大正時代に日本を騒然とさせた甘粕事件により殺害される。四角関係のはて非難のなか結ばれた婦人運動家・伊藤野枝、六歳の甥・橘宗一とともに憲兵に連行された事件は、憲兵への壮絶な非難が集まる一方で、憲兵へ命令したとさ…

加藤まさを

大正時代を代表するイラストレーターのひとり。少女たちに圧倒的な支持を得た。

蕗谷虹児

大正ロマンを代表するイラストレーターのひとり。竹久夢二に憧れスケッチ帖を持って夢二を訪ね、その実力を認めてもらう。蕗谷虹児は、「僕にも挿絵が描けるでしょうか」と夢二に訊ねた際に、「僕に描けたんだから、君にだって描けるさ」…

須藤しげる

おもに大正時代に活躍したイラストレーター。少女倶楽部、少女の友などの少女雑誌、少年倶楽部、令女界で独特のイラストを発表し、発竹久夢二や高畠華宵らとともに大正ロマンを担った。本名は須藤源重(すどうげんじゅう)。

美濃部達吉

大正デモクラシーの代表的理論家。美濃部が大正元年に発表した天皇機関説(「君主は国家におけるひとつの、かつ最高の、機関である」)は政党政治の理論的拠り所となる。

長谷川如是閑

ジャーナリスト、小説家。大正デモクラシーを牽引した論客のひとり。「如是閑」は雅号である。本名は長谷川萬次郎。

吉野作造

政治学者、思想家。『民本主義』をとなえた吉野作造は大正デモクラシーの代表的な論客である。『中央公論』に発表した評論『憲政の本義を説いて其有終の美を済すの途を論ず』が注目され、一躍大正デモクラシーをリードする存在となった。

杉浦非水

大正ロマンを象徴するモダンなポスターが人気だったデザイナー。とくに三越のポスターが有名である。多摩美術大学の前身である多摩帝国美術学校の初代校長として後進の育成にもつとめた。

柳原白蓮

歌人。大正三美人のひとり(ほか、九条武子、江木欣々)。新聞に掲載した夫への公開絶縁状はあまりにも有名である。

宮沢賢治

大正時代を代表する詩人、童話作家。生前は無名に近い存在だったが、死後評価が高まった。代表作は、唯一の詩集である『春と修羅』、童話集『注文の多い料理店』。

竹久夢二

大正ロマンを代表する画家、詩人。大正の浮世絵師とよばれ、『夢二式美人』と評判を受けた美人画を数多く発表した。代表作は愛人であったお葉をモデルにした『黒船屋』。

下田歌子

明治から大正時代にかけて活躍した歌人、女子教育者。

飯野吉三郎

「日本のラスプーチン」と呼ばれた新興宗教家。宗教団体「大日本精神団」を設立した。同じ岐阜県出身であった教育者・歌人である下田歌子のコネクションから、政財界や皇室にパイプを持つようになる。祈祷と予言を駆使し、絶大な影響力を…

辰野金吾

明治から大正にかけて活躍した建築家。周囲から「辰野堅固」とよばれた堅固な建築で、明治の文明開化期から様々な西洋建築物を建造。代表作は、東京駅や日本銀行本店の設計など。また、帝国大学工科大学学長、建築学会会長を務め、後進の…

与謝野晶子

おもに明治から大正時代にかけて活躍した歌人。本名は与謝野志よう(よさのしょう)。夫は歌人・与謝野鉄幹。日露戦争に従軍した弟に向けて歌った『君死にたまふことなかれ』という一節はあまりにも有名である。代表作は歌集『みだれ髪』…

小山内薫

(1881~1928) 劇作家・演出家・小説家。広島生まれ。東大卒。歌舞伎・新派劇にかわる近代的演劇を志し、1909年(明治42)二世市川左団次と自由劇場を創立、西欧近代劇の上演を行う。24年(大正13)土方与志と築地小…

田中義一

(1864~1929) 軍人・政治家。山口県生まれ。原内閣の陸相としてシベリア出兵を断行。1925年(大正14)立憲政友会総裁、27年(昭和2)組閣し、山東出兵など大陸進出を強行、29年張作霖爆殺事件の責任を負って辞職し…

寺内正毅

(1852~1919) 政治家。陸軍大将・元帥。長州藩出身。第一次桂内閣に入閣、以後陸相を歴任。1910年(明治43)初代朝鮮総督。16年(大正5)組閣して、シベリア出兵を断行、世論の批判を受け、米騒動により総辞職した。

桂太郎

(1847~1913) 政治家・陸軍大将。長州藩の人。ドイツ兵制を学び、陸軍建設に尽力。三度組閣し、日英同盟締結・日露戦争・韓国併合などに当たる。1913年(大正2)憲政擁護運動に批判されて辞職(大正政変)。