岡本太郎
「芸術は爆発だ!」「何だ、これは」のフレーズで知られる日本を代表する芸術家。代表作に1970年に大阪で開催された万国博覧会(通称:大阪万博)のシンボルタワー「太陽の塔」などがある。父は漫画家の岡本一平、母は小説家の岡本か…
「芸術は爆発だ!」「何だ、これは」のフレーズで知られる日本を代表する芸術家。代表作に1970年に大阪で開催された万国博覧会(通称:大阪万博)のシンボルタワー「太陽の塔」などがある。父は漫画家の岡本一平、母は小説家の岡本か…
12歳で夭折した少年。 作家の高史明の息子であり、父の影響からか幼い頃から和洋問わず膨大な量の本を読んだという。 12歳9ヶ月のとき、近所の団地にて飛び降り自殺。彼の死後、彼が自殺当日まで綴っていた詩作が父親の手によりま…
明治から昭和にかけて活躍した文豪。随筆家でもある。本名は永井壮吉。号は金阜山人、断腸亭主人、石南居士など。1902年、傾倒していたフランスの小説家エミール・ゾラの影響を受けた『地獄の花』を刊行、同作は森鴎外に絶賛され出世…
昭和初期を代表する作家。肺結核の療養先であった軽井沢を舞台とした作品で知られる。代表作は、婚約者の死をきっかけに書いた『風立ちぬ』をはじめ、『美しい村』『がげろふ日記』『菜穂子』など。自身の病気や母親、婚約者、親交のあっ…
新しい女性のライフスタイルを提唱し続けたイラストレーター。雑誌編集者、ファッションデザイナー、人形作家、インテリアデザイナー、ヘアスタイリストなどさまざまな分野で才能を発揮した。専属画家として表紙や挿絵を担当した雑誌『少…
昭和を代表する日本画家。本名は東山新吉。やさしい色合いでありながら生命感あふれる自然を描き続けた。1950年に発表した、まっすぐに伸びた一本の道だけを描いた『道』は高い評価を得て、代表作のひとつとなった。日本を代表する日…
日本の演劇界、映画界に多大な足跡を残した大女優。築地小劇場(のちの俳優座)で研究生をしたのち、1937年に劇団・文学座の結成に参加、以後、日本演劇界の中心人物として活躍した。代表作は舞台『女の一生』や映画『東京物語』など…
日本の競泳史に水泳選手。 第二次世界大戦後の水泳界で次々と世界新記録をぬりかえ、世界中から「フジヤマのトビウオ」として尊敬される。 日本中の期待を背負って出場した1952年のヘルシンキオリンピックでは、400m自由形で8…
圧倒的な存在感と色気、卓越した演技力で観客を魅了した俳優。大の鉄道ファンとしても有名。俳優座養成所を卒業後、フジテレビのテレビドラマ『天下の青年』(1967年)でデビュー。その後、黒木和雄監督の『TOMORROW 明日』…
演劇実験室「天井桟敷」の主宰。 24歳のときにラジオドラマ『大人狩り』のシナリオを担当。その過激な内容が大きな反響をよぶ。 劇作家/演出家にとどまらず、小説家、作詞家、俳人、詩人、評論家から俳優まで幅広く活動し、膨大な著…
大正・昭和の小説家。 武者小路実篤や有島武郎らとともに同人誌『白樺』を立ち上げ、日本文学に大きな影響を与えた。 代表作は『暗夜行路』『和解』『小僧の神様』『城の崎にて』など。
作曲家、箏曲家である。十七絃の発明者として知られる。旧姓は菅(すが)。 8歳で失明し、生田流の2代目・中島検校に弟子入り。わずか11歳で免許皆伝となる。 その後クラシック音楽の影響を受けた作品を発表。『水の変態』『春の海…
カトリック教会の司祭、宣教師で、イエズス会の創設メンバーのひとり。日本に初めてキリスト教を伝えた人物として名高い。ザビエルは、1506年にナバーラ王国の貴族の息子として誕生した。19歳の時に名門パリ大学に留学、聖バルバラ…
出雲の戦国大名・尼子経久の子(次男)で、出雲新宮谷に住んだ戦闘集団「新宮党」のリーダー。幼名は孫四郎。受領名は紀伊守、刑部少輔。 父・経久をもって「軍務にかけては鬼神のごとし」と言わしめたほどの猛将だったという。 尼子国…
西美濃三人衆のひとり(ほか、稲葉一鉄、安藤守就)。ピーク時の領地では、三人衆のなかで最大勢力であった。 本来は氏家直元であるが、現在では号である「貫心斎卜全」から、「氏家卜全」と呼ぶのが一般的となっている。別名は友国、桑…
室町幕府の幕臣・細川藤孝の息子(長男)。正室は父・藤孝の盟友でもあった明智光秀の娘・玉子(細川ガラシャ)。豊前国小倉藩の初代藩主でもある。また、父・藤孝と同じく文化人としても知られ、利休七哲のひとりであり、茶道の流派・三…
豊臣秀吉と淀殿の息子(秀吉の三男)であり、 幼名は拾丸。おもな官位は権大納言・正二位・内大臣・右大臣。 父・秀吉は後継者である秀頼のために、死去の前に五大老・五奉行などを導入し、政権維持の体制を整えた。しかし、次第に徳川…
大僧正。智楽院とも呼ばれる。諡号は慈眼大師。徳川家康の側近であり、朝廷政策や宗教政策において、幕府内で強い影響力を持っていたことから「黒衣の宰相」とも呼ばれる。 徳川家康の神号「東照大権現」を提言したのは天海である。 ま…
幼名は木下辰之助。通称は金吾。別名は金吾中納言、筑前中納言、岡山中納言。おもな官位は参議・権中納言。豊臣秀吉の正室ねね(北政所)の兄・木下家定の五男として生まれる。幼少の頃から義理の叔父である秀吉の養子となり、秀吉の寵愛…
通称は権六郎、権六。あだ名は鬼柴田、かかれ柴田、瓶割り柴田。生年は1526年・1527年など諸説ある。 若い頃から織田信長に家臣として仕え、家中随一の猛将として知られる。信長の大軍略である天下統一戦では北陸方面軍の指揮を…
徳川幕府6代将軍・徳川家宣の側室、7代将軍・家継の生母。本名は勝田輝子、側室としての名はお喜世(きよ)の方、左京の局。もと加賀藩士で浅草の住職の娘として生まれた。甲斐国甲府藩主時代の徳川綱豊(のちの6代将軍・家宣)に仕え…
江戸時代前期の女性。後水尾天皇の中宮で、859年ぶりの女帝となった第109代天皇・明正(めいしょう)天皇の生母。父は2代将軍・徳川秀忠、母は江。徳川家康の内孫にあたり、豊臣秀頼はいとこ、その妻である千姫は姉。名は徳川和子…
江戸中期の大名で、出羽国米沢藩の9代藩主。破綻寸前の米沢藩を改革により再生させた江戸時代屈指の名君として名高い。一般に知られる「鷹山」は号で、名は治憲(はるのり)、幼名は松三郎のち直松、通称は直丸。父は日向国高鍋藩主・秋…
江戸時代中期の伊奈家最後の関東郡代。通称は半十郎、半左衛門。官位は摂津守、右近将監。父は備中国松山藩主・板倉勝澄だが、跡継ぎのいなかった伊奈忠敬の婿養子となり関東郡代の職も継いだ。代々関東の天領を支配し領民の尊敬を集めて…
江戸時代中期の関東郡代。通称は半蔵、半左衛門。官位は従五位下備前守。代々関東郡代として関東の天領を支配する名門・伊奈家に生まれ、忠宥も11代目関東郡代となった。1764年(明和元年)に農民20万人が蜂起した「中山道伝馬騒…
江戸時代初期の剣術家、大名。大和柳生藩の初代藩主で、徳川将軍家の兵法指南役を務めた。初名は新左衛門、通称は又右衛門のち但馬守。新陰流の剣士・柳生宗厳(石舟斎)の子として大和国柳生庄(現・奈良県柳生町)にて生まれ、幼い頃よ…
江戸時代後期の絵師、「江戸琳派」の創始者・酒井抱一の高弟で、事実上の後継者。本姓は山本、通称は為三郎、字は子淵、諱は元長、号はほかに薈々、菁々、必庵、錫雲、祝琳、為三堂、鶯巣、元阿など。江戸は中橋にて紺屋の子として生まれ…
江戸時代末期から明治にかけての漂泊の俳人。本名は一説に井上克三(かつぞう)、通称は勝之進、別号に柳の家井月。越後国長岡(現・新潟県長岡市)で生まれたとされるが出自については不明点が多い。18歳頃に故郷を出て江戸で儒学者・…
江戸時代後期の画家、松前藩家老。通称は将監、字は世祜、画号はほかに東岱、杏雨、京雨、別号に梅香舎、梅痩舎、柳民舎、滄岡軒。松前藩12代藩主・松前資広の子として生まれるが、翌年に父が他界し兄が跡を継いだため、家老・蠣崎家の…
江戸時代後期の経世家、儒学者、思想家。通称は儀平または弘助、字は萬和、号はほかに皐鶴(こうかく)。丹後国宮津藩青山家の家老・角田市左衛門の子として江戸で生まれた。父親も「青渓」の号を持つ経世家・儒学者で、青陵は幼い頃から…
江戸時代中期の地図考証家。京の高辻京極西茶麿屋町で生まれ、少年時代は同族の医師のもとで勉学に励んだ。叔父の香具屋を継いで商売していたが、そのかたわら地元の山城や伏見の地図を作成した。30歳の若さで隠居すると大坂に転居し、…
江戸時代中期の俳人、画家。松尾芭蕉、小林一茶と並び称される江戸俳諧の巨人で「江戸俳諧中興の祖」といわれる。また「俳画」と呼ばれる新ジャンルを開拓したことでも知られる。本姓は谷口(谷とも)、名は信章、通称は寅、俳号はほかに…
江戸時代前期から中期に活躍した画家、工芸家。「琳派」の大成者として知られる。初名は惟富、通称は市之丞。京の呉服商「雁金屋」の次男として生まれる。弟に同時代に活躍した陶芸家・尾形乾山がいる。幼い頃から絵画、能楽、茶道、書道…
戦国時代から江戸時代にかけての浄土宗西山深草派の僧で、「落語の祖」ともいわれる。俗名は平林平太夫、諱は日快、号は醒翁、「策伝」は道号。美濃の戦国武将・金森定近を父に、飛騨高山城主・金森長近を兄に持つ。幼くして美濃にある浄…
江戸時代後期に活躍した歌舞伎狂言の作者。代表作に『東海道四谷怪談』『天竺徳兵衛韓噺』など。なお、「鶴屋南北」は歌舞伎役者および作者の名跡で、その名を襲名した人物は5人いるが、4代目の業績が特に優れているので、「鶴屋南北」…
江戸時代前期から元禄にかけ活躍した人形浄瑠璃・歌舞伎の作者。代表作に『曽根崎心中』『国性爺合戦』『心中天網島』『冥土の飛脚』など。本名は杉森信盛、幼名は次郎吉。家紋は「丸に一文字」。父は越前国福井藩士で、のち父の転勤にと…
江戸時代前期の儒学者、朱子学者、神道家、思想家。闇斎は号で、通称は嘉右衛門、字は敬義、諱は嘉。垂加神道の創始者として知られる。君臣・師弟の関係を厳格に説き、大義名分を重視するその思想は、のち幕末の尊王思想に大きな影響を与…
江戸時代前期の女性で、3代将軍・家光の乳母。本名は斎藤福。よく知られる「春日局」とは朝廷から賜った称号。父は明智光秀の重臣・斎藤利三、母は稲葉良通(一鉄)の娘。山崎の戦いのあと父・利三が処刑されると母方の一族である稲葉重…
江戸時代後期の儒学者で、幕府に対し起こした反乱「大塩平八郎の乱」の首謀者。通称は平八郎、諱は正高のち後素(こうそ)、字は子起、号は中斎。家紋は揚羽。大坂町奉行組与力を代々務める大塩家の八代目として、大坂天満にて生まれる。…
江戸時代前期の大名で常陸水戸藩2代藩主。「水戸黄門」としてドラマなどでも有名。幼名は長丸、字は子龍、号は梅里、神号は「高譲味道根之命」(たかゆずるうましみちねのみこと)。「江戸初期の三名君」のひとり(ほか2人は会津藩主・…
江戸時代後期に活躍した俳諧師で、生涯に2万句を超える俳句を残した。本名は小林弥太郎。別号は、圯橋・菊明・亜堂・雲外・一茶坊・二六庵・俳諧寺など。信濃は北国街道の柏原宿にある農家の長男として生まれる。3歳の時に実母が他界、…
江戸時代末期に活躍した浮世絵師。本姓は安藤、幼名は徳太郎。江戸の八代州河岸の定火消・安藤家に生まれ、父の隠居を受け13歳の時に家督を継いだ。しかし、15歳の時、浮世絵師の歌川豊広に入門、27歳の時についに家督を譲り絵の道…
町火消であり侠客、香具師でもある。浅草十番組「を組」の頭。 勝海舟とも交流を持ち実娘のお芳は徳川慶喜の妾。 新門辰五郎は町の火消にとどまらない大きな影響力を持ち、資金力もずば抜けていた。鳥羽伏見の戦いにおいて、徳川慶喜が…
伊予国宇和島藩の第8代藩主。先見の明と実行力を伴う名君。幕末の四賢候の一人。(ほか、福井藩・松平春嶽、土佐藩・山内容堂、薩摩藩・島津斉彬)。先代の伊達宗紀が建て直した藩財政を礎に、藩政および軍制を改革。人材登用にも長けて…
水戸藩の藩校・弘道館の初代教授頭取であり、水戸学の代表的思想家である。 会沢が唱えた神道と水戸学を合わせた大義名分論は、吉田松陰らに大きな影響を与えた。
虎太郎とも書く。土佐藩。土佐勤王党出身。 間崎哲馬に師事し、その影響を強く受け尊王思想となる。 土佐勤王党加盟後、久坂玄瑞と接触し長州藩の伏見挙兵計画という極秘情報を入手。土佐勤王党の武市半平太に足並みを揃えるよう説くが…
土佐藩家老。幕末の土佐藩を代表する人物。のち、福岡孝弟(ふくおかたかちか)と名乗る。 若い頃から吉田東洋の少林塾で学問を学ぶ(同門には後藤象二郎や岩崎弥太郎ら)。 吉田東洋の藩政復帰にともない、福岡も要職で抜擢され藩政に…
土佐藩士。のちに脱藩。明治維新に大きな影響を与えた志士。
長州藩士。幕末屈指の先駆的な考えを持つ人物。開国論者であり、公武一和をベースとした自説「航海遠略策」は、長州の藩論となるばかりか、幕府や朝廷でも歓迎されるなど、大きな影響力をもった。しかし、長州藩内で松下村塾を中心とした…
長州藩士。藩の財政改革を断行した村田清風の影響を強く受ける。改革派として、桂小五郎や高杉晋作を積極的に登用。吉田松陰および松下村塾系の人物たちも支持する。保守派の椋梨藤太とたびたび政権争いを繰り広げる。禁門の変や長州征伐…
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