横溝正史

日本を代表するミステリ作家。ボサボサ頭と人懐っこい笑顔が印象的な名探偵・金田一耕助の生みの親として知られ、金田一が活躍する『八つ墓村』『犬神家の一族』などの「金田一シリーズ」は長年に亘り多くの読者に愛され、多数の作品が映…

山田風太郎

戦後における日本の娯楽小説を代表する作家。時代小説、推理小説、伝奇小説のジャンルで名をはせた。本名は山田誠也。1946年、24歳の時に雑誌『宝石』の懸賞小説に応募した『達磨峠の事件』が入選。これが江戸川乱歩に認められ、以…

つかこうへい

日本の劇作家、演出家。 1974年に劇団『つかこうへい事務所』を設立。戯曲『熱海殺人事件』にて岸田國士戯曲賞をすると、人気が爆発。戯曲を固めきらず「口立て」とよばれる稽古場で台詞を常に変更していくなど、演劇のライブ感を極…

田中角栄

第64・65代内閣総理大臣。本来の表記は「田中角榮」。 非常に強い実行力で、戦後の日本のインフラ整備推進や日中国交正常化などを行う。 一方で、ロッキード事件とよばれる贈収賄事件で逮捕されるなど、功罪あわせもった政治家とし…

金地院崇伝

徳川家康の外交僧として活躍した臨済宗の僧。以心崇伝とも呼ばれる。あだ名は「黒衣の宰相」。 金地院崇伝は、父・一色秀勝の子として誕生し、父の没後、京の南禅寺で修行、さらに醍醐寺三宝院で学んだ。南禅寺の270世住職となった3…

堀尾吉晴

豊臣政権の三中老のひとり(ほかは、生駒親正、中村一氏)。出雲松江藩の初代藩主でもある。 幼名は仁王丸、小太郎。仮名は茂助。諱は、可晴、吉定、吉直。おもな官位は、帯刀先生、従四位下。 温和な性格だったため「仏の茂助」と呼ば…

山県景昌

武田四天王のひとり(ほかは、馬場信春、内藤昌秀、高坂昌信)。軍装を赤一色にそろえ戦国時代最強を謳われた精鋭部隊「赤備え」を率いた人物としても知られる。 旧名は飯富源四郎。別名は三郎兵衛尉。昌景は武田信玄の近習として仕え、…

大久保長安

能役者から徳川幕府の勘定奉行、老中に昇りつめた異色の人物。 通称は藤十郎、十兵衛。おもな官位は従五位下石見守。長安は1545年、武田信玄お抱えの猿楽師・大蔵太夫金春七郎喜然の息子(次男)として誕生した。 信玄からその素質…

北条氏直

後北条氏の五代当主で戦国時代における最後の小田原城城主。 父は北条氏政、母は武田信玄の娘・黄梅院、妻は徳川家康の娘・督姫。武田勝頼の甥にあたる。幼名は国王丸。通称は新九郎。別名は見性斎。おもな官位は左京大夫、従五位下。 …

大野治長

通称は修理亮。おもな官位は従四位下修理大夫。 母は、豊臣秀吉の側室・淀殿の乳母である大蔵卿局。その縁で豊臣秀吉に取り立てられこれに仕え、秀吉没後は、その子・秀頼に近侍した。 1614年に豊臣家の家老・片桐且元が大坂の陣勃…

武田義信

武田信玄の息子(嫡男)。改名前は太郎。 将軍・足利義輝から「義」の一字を賜り、義信と名乗る。武田信玄の跡継ぎとして将来を期待されていたが、父・信玄暗殺を企てた謀反(義信事件)が発覚し幽閉。後に自害した。 有力な説として、…

千姫

二代将軍・徳川秀忠の娘(長女)で、母は「浅井三姉妹」の三女・江。豊臣秀吉の遺児・秀頼の正室でもある。 号は天樹院。温和な性格で、祖母・市ゆずりの美貌と聡明さを持ち合わせた女性だったといわれる。1597年5月26日、京の伏…

本多正純

幼名は千穂。通称は弥八郎。 徳川家康の参謀・本多正信の息子(長男)で、父同様の策謀家として知られる。 幼少より家康に仕え、父譲りの頭脳をもって家康に重用された。家康が将軍職を息子の秀忠に譲り大御所となり駿府に移るとこれに…

本多正信

幼名は弥八郎。別名は正行。正保とも名乗った。おもな官位は、従五位下佐渡守。 幼少より徳川家康に仕えていたが、1563年に三河一向一揆が起こると一揆方につき主君・家康に敵対、一揆が鎮圧されると出奔した。その後、しばらく諸国…

片桐且元

通称は助作。別名は直倫、直盛、且盛。おもな官位は東市正、従五位下。 早くから豊臣秀吉に仕え、1583年の賤ヶ岳の戦いで活躍、福島正則や加藤清正らとともに「賤ヶ岳の七本槍」のひとりに数えられた。 秀吉からの信任あつく、その…

あぁ~しらき(アァ~シラキ)

プロフィール お笑いタレント 1976/11/21生まれ さそり座 O型 福岡 157cm 55kg 特技 鼻がきく ソフトボール 手相がみれる 趣味 ババアカード作り 主な出演作品 【テレビ】ウチのガヤがすみません 有…

天一坊改行

江戸時代中期の山伏。8代将軍・徳川吉宗のご落胤をかたり浪人を集めたかどで捕らえられ処刑された「天一坊事件」で知られる。紀州田辺に生まれ、母と死別すると出家し山伏となったといわれる。「吉宗のご落胤」を称し、近々大名に取り立…

月光院

徳川幕府6代将軍・徳川家宣の側室、7代将軍・家継の生母。本名は勝田輝子、側室としての名はお喜世(きよ)の方、左京の局。もと加賀藩士で浅草の住職の娘として生まれた。甲斐国甲府藩主時代の徳川綱豊(のちの6代将軍・家宣)に仕え…

後水尾天皇

江戸時代前期の第108代天皇。諱は政仁(ことひと)。中宮は2代将軍・徳川秀忠の娘である東福門院和子。第107代天皇・後陽成天皇の第3皇子として生まれるが、徳川家康の皇位継承への介入もあり擁立され第108代天皇となった。こ…

東福門院

江戸時代前期の女性。後水尾天皇の中宮で、859年ぶりの女帝となった第109代天皇・明正(めいしょう)天皇の生母。父は2代将軍・徳川秀忠、母は江。徳川家康の内孫にあたり、豊臣秀頼はいとこ、その妻である千姫は姉。名は徳川和子…

細川綱利

江戸時代前期の大名、肥後国熊本藩の3代藩主。通称は六丸。「赤穂事件」において吉良上野介義央を討ち取った赤穂浪士四十七士のうち、リーダーの大石内蔵助をはじめ17人の義士のお預かりを担当したことで知られる。綱利は父の死後、6…

妙海尼

江戸時代前期から中期の女性。「赤穂事件」から30年以上もたった頃、赤穂浪士四十七士のひとりとして名高い「堀部安兵衛の妻」を自称し、赤穂浪士たちの眠る高輪の泉岳寺近くに庵を結び、安兵衛の墓を参拝したり、訪れた人に義士たちの…

梶川与惣兵衛

江戸時代前期の旗本。「赤穂事件」で知られる赤穂藩主・浅野内匠頭長矩が吉良上野介義央に江戸城大廊下において刃傷に及んだ際、偶然その場に居合わせ、浅野内匠頭を取り押さえたことで知られる。ドラマなど『忠臣蔵』の創作物では「浅野…

色部又四郎

江戸時代前期から中期の武士、米沢藩上杉家の江戸家老。又四郎は通称で、名は安長(やすなが)。『忠臣蔵』などの創作物では、父・吉良上野介を助けるため出兵しようとする主君・上杉綱憲を色部が制止するというシーンがしばしば登場する…

千坂兵部

江戸時代前期の武士、米沢藩上杉家の江戸家老。兵部は通称で、名は高房(たかふさ)。「赤穂事件」を題材にした講談や歌舞伎など『忠臣蔵』の創作物では、赤穂浪士四十七士が吉良邸に討ちいる際に、実父・吉良上野介義央を助けるために出…

小林平八郎

江戸時代前期の武士、「赤穂事件」で知られる高家・吉良上野介義央の家臣で吉良家の家老。平八郎は通称で、名は央通(ひさみち)。赤穂浪士四十七士による吉良邸討ち入りの際に討ち死にした。講談や歌舞伎、ドラマといった『忠臣蔵』のフ…

山吉新八

江戸時代前期の武士。「赤穂事件」で知られる吉良上野介義央の家臣で、赤穂浪士四十七士による吉良邸討ち入りの際、もっとも活躍した剣客といわれる。父は米沢藩上杉家の家臣。新八は吉良上野介の孫ながら養子として上杉家から吉良家に入…

清水一学

江戸時代前期の武士。「赤穂事件」で赤穂浪士四十七士が吉良邸に討ち入りした際に討ち死にした。フィクションにおける『忠臣蔵』では吉良家随一の剣豪として描かれ、同門の友で義士の堀部安兵衛とも一騎打ちなどが名シーンとして描かれる…

吉良義周

江戸時代前期の武士。「赤穂事件」における仇役として知られる吉良上野介義央の孫で養子。幼名は春千代、通称は左兵衛(さひょうえ)。吉良上野介の子で出羽国米沢藩4代藩主・上杉綱憲の次男として生まれる。父・綱憲の実家である吉良家…

大石りく

江戸時代前期の女性。「赤穂事件」における赤穂浪士四十七士のリーダー大石内蔵助の妻として知られる。非常に大柄だったといわれ身長は6尺(約180cm)あったとも。但馬国豊岡藩京極家の家老・石束毎公の長女として、但馬国豊岡(現…

毛利小平太

江戸時代前期の武士、播磨国赤穂藩浅野家の家臣。小平太は通称で、名は元義(もとよし)とされる。「赤穂事件」における“最後の脱盟者”として有名。主君・浅野内匠頭長矩が刃傷事件を起こしたあと、早くから大石内蔵助に従い義盟に参加…

瀬尾孫左衛門

江戸時代前期の武士。「赤穂事件」で赤穂浪士四十七士のリーダーとして活躍した大石内蔵助の家臣で、討ち入り2日前に脱盟した。赤穂藩筆頭家老・大石内蔵助の家臣で、赤穂藩主・浅野内匠頭長矩の陪臣にあたるため、本来なら義盟に参加す…

小山田庄左衛門

江戸時代前期の武士、播磨国赤穂藩浅野家の家臣。主君・浅野内匠頭長矩が刃傷事件を起こしお家断絶となると、大石内蔵助派として行動し早くから義盟に参加していた。江戸では堀部安兵衛と同宿し、吉良方の動向を探索するなど活動していた…

田中貞四郎

江戸時代前期の武士、播磨国赤穂藩浅野家の家臣。赤穂藩主・浅野内匠頭長矩の近習で、片岡源五右衛門、磯貝十郎左衛門とともに長矩から寵愛された。主君・長矩が江戸城で刃傷事件を起こした時も、お供で同行していたため江戸におり、切腹…

小山源五右衛門

江戸時代前期の武士、播磨国赤穂藩浅野家の家臣。赤穂浪士四十七士のリーダー大石内蔵助の叔父にあたる。浅野長直、内匠頭長矩と2代に仕え、長矩が刃傷事件を起こしてからは大石内蔵助派として行動し、早くから義盟にも参加した。しかし…

進藤源四郎

江戸時代前期の武士、播磨国赤穂藩浅野家の家臣。源四郎は通称で、名は俊式(としもと)。赤穂浪士四十七士のリーダー大石内蔵助の母方の大叔父にあたる。主君・浅野内匠頭長矩が刃傷事件を起こしたあとは筆頭家老・大石内蔵助派として行…

奥野将監

江戸時代前期の武士、播磨国赤穂藩浅野家の重臣。将監は通称で、名は定良(さだよし)。赤穂浪士四十七士のひとり大石瀬左衛門とは従兄弟の間柄。主君・浅野内匠頭長矩が刃傷事件を起こし切腹、お家断絶となると、逐電した家老・大野九郎…

橋本平左衛門

江戸時代前期の武士、播磨国赤穂藩浅野家の家臣。主君・浅野内匠頭長矩が刃傷事件を起こし切腹したあと、当初から大石内蔵助に従い義盟に加わっていたが、赤穂城開城後に京で暮らしていた時に大坂曽根崎新地で知り合った遊女・お初と恋仲…

萱野三平

江戸時代前期の武士、播磨国赤穂藩浅野家の家臣。三平は通称で、名は重実(しげざね)。討ち入り前に主君への忠と父への孝の板ばさみとなり切腹した赤穂藩士として有名で、「48番目の義士」ともいわれる。また、「涓泉(けんせん)」と…

高田郡兵衛

江戸時代前期の武士、播磨国赤穂藩浅野家の家臣。「槍の郡兵衛」と異名をとる槍の達人だが、赤穂浪士たちの義挙から脱盟したことで不忠臣とのそしりを受ける。主君・浅野内匠頭長矩が刃傷事件を起こし、切腹、お家断絶となると、郡兵衛は…

寺井玄渓

江戸時代前期の医師。号は桐庵。もともと播磨国明石藩の本多家に仕えていたという。その後、京で医者をし、のち縁あって播磨国赤穂藩の藩医となった。主君・浅野内匠頭長矩が刃傷事件を起こした時は江戸藩邸にいたが、事件後、すぐに赤穂…

岡林杢之助

江戸時代前期の武士、播磨国赤穂藩浅野家の重臣。杢之助は通称で、名は直之(なおゆき)。浅野家家臣団のなかで大石家に次ぐ名家の出身でありながら討ち入りに参加せず、不忠臣のそしりを受けた。主君・浅野内匠頭長矩が刃傷事件を起こし…

藤井又左衛門

江戸時代前期の武士、播磨国赤穂藩浅野家の家老。又左衛門は通称で、名は宗茂(むねしげ)。赤穂藩内では筆頭家老・大石内蔵助に次ぐ重臣だったが、討ち入りに参加せず、不忠臣とそしりを受けた。主君・浅野内匠頭長矩が勅使饗応役を務め…

安井彦右衛門

江戸時代前期の武士、播磨国赤穂藩浅野家の江戸家老。主君・浅野内匠頭長矩とは遠縁の間柄で、彦右衛門は長く江戸家老を任された。重臣だが討ち入りに参加しなかったため不忠臣のそしりを受けた。長矩が勅使饗応役を務めた際も家老・藤井…

大野九郎兵衛

江戸時代前期の武士、播磨国赤穂藩浅野家の家老。九郎兵衛は通称で、名は知房(ともふさ)。「赤穂事件」の時、赤穂城開城前に逐電したことから、フィクションにおける『忠臣蔵』では不忠臣の代表格となってしまった。優秀な経済官僚だっ…

寺坂吉右衛門

江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとりで、300人ほどいた浅野家足軽のなか唯一討ち入りに参加し、その後生き残ったことで知られる。吉右衛門は通称で、名は信行(のぶゆき)。赤穂藩浅野家家臣の子として生まれ、8歳の時から…

横川勘平

江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。勘平は通称で、名は宗利(むねとし)。いつ頃かは不明だが赤穂藩主・浅野内匠頭長矩に仕え、長矩が刃傷事件を起こした時は江戸にいたがすぐに赤穂へ戻った。はじめ殉死を唱えていたが、義…

三村次郎左衛門

江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。次郎左衛門は通称で、名は包常(かねつね)。赤穂藩浅野家に仕えるが役職は台所役という非常に低い身分だった。そのため、主君・浅野内匠頭長矩が刃傷事件を起こし赤穂城開城をめぐる藩士…

神崎与五郎

江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。与五郎は通称で、名は則休(のりやす)。家紋は蛇の目。大高源五と並び浅野家家中きっての俳人として知られ、「竹平」の俳号を持つ。また、浪士随一の酒豪といわれ、美男子だったと伝わる…

杉野十平次

江戸時代前期の武士、赤穂浪士四十七士のひとり。十平次は通称で、名は次房(つぎふさ)。十平次自身は微禄ながら、母方の実家・荻原家は藩内でも知られる裕福な家だった。主君・浅野内匠頭長矩が刃傷事件を起こした時、十平次は参勤交代…