荒木伸吾

アニメ『聖闘士星矢』や『キューティーハニー』など人気アニメを担当したアニメーター、キャラクターデザイナー。作画プロダクション「有限会社荒木プロダクション」代表取締役。最大の特徴は繊細、端正な絵柄で数多くの美形キャラクター…

内田吐夢

日本映画の黎明期から戦後にかけ従来にない骨太でリアリズムに満ちた名作を撮り続けた映画監督。本名は内田常次郎。ピアノの調律師から監督助手となり、俳優を経て監督になった。一時、旅役者一座に入り放浪生活を送ったが、これがのちに…

大河内傳次郎

「丹下左膳」を演じ一世を風靡した時代劇の大スター。本名は大辺男(おおべますお)。新国劇に入り「室町次郎」の芸名で舞台に立ったあと、1925年、日活に移り「大河内傳次郎」を名乗って映画界に入った。翌1926年、伊藤大輔監督…

伊丹万作

「日本のルネ・クレール」と呼ばれ日本映画の礎を築いた映画監督のひとり。脚本家、俳優、エッセイスト、挿絵画家としても活躍した。本名は池内義豊。息子は同じく映画監督で俳優、エッセイストの伊丹十三。小説家・大江健三郎は娘婿にあ…

片岡千恵蔵

戦前から戦後の長きにわたり大スターとして君臨した俳優。本名は植木正義。息子の植木義晴は日本航空の代表取締役社長。一代目・片岡仁左衛門の主宰する「片岡少年劇」に入門し、歌舞伎役者としてその将来を嘱望されたが、1927年、映…

笠置シヅ子

「ブギの女王」として一世を風靡した歌手、女優。本名は亀井静子。「松竹楽劇部生徒養成所」に入ると「三笠静子」の芸名で初舞台を踏みデビューした。その後、作曲家・服部良一と組んでジャズ歌手として活動、戦後、爆発的ヒットを記録し…

大沢啓二

「親分」「大沢親分」の愛称で親しまれたプロ野球選手、監督、野球解説者。孫はタレントの大沢あかね。立教大学野球部を経て(2年後輩に長嶋茂雄らがいる)、1956年に南海ホークスに入団、プロ野球選手となった。頭脳的な守備を得意…

児玉清

俳優、タレント、司会者、作家と幅広いジャンルで活躍した。本名は北川清。もともと俳優志望ではなかったが、1958年に東宝映画第13期ニューフェイスに合格し、芸能界に入った。東宝時代は役に恵まれず、黒澤明監督の『悪い奴ほどよ…

市川雷蔵(8代目)

時代劇映画『眠狂四郎』シリーズで一世を風靡した歌舞伎役者、俳優。本名は太田吉哉。1960年代には勝新太郎とともに大映の二枚看板として活躍し、「カツライス」と呼ばれた。生後6カ月の時に叔父で歌舞伎役者の三代目市川九團次の養…

川本喜八郎

日本を代表する人形作家で人形アニメの監督。代表作はNHK人形劇『三国志』。小学生の頃から人形をつくりはじめ、東宝撮影所美術部での仕事を経て、フリーの人形美術家としてアサヒビールや三ツ矢サイダーの人形によるCM製作に携わっ…

内田百閒

小説家、随筆家。本名は内田榮造。別号は百鬼園。夏目漱石の門弟となり、漱石の作品の校正などを手伝い、漱石没後は『夏目漱石全集』の編集に参加した。1922年、『冥土』で小説化デビュー、以後、得体の知れない恐怖感を表現した小説…

赤木圭一郎

「トニー」の愛称で親しまれた映画俳優。本名は赤塚親弘(ちかひろ)。1958年に日活第4期ニューフェイスとして日活に入社、石原裕次郎主演の映画『紅の翼』でエキストラとして出演しデビューを果たした。彫りの深い西洋風のルックス…

丹波哲郎

戦後の日本映画界を牽引した俳優、映画監督。霊界研究者としても知られ、自らメガホンをとった映画『大霊界』も大ヒットした。50年以上におよんだ俳優生活で出演した映画は国内外の作品をあわせて300本以上にもなる。鋭い眼光と圧倒…

中原早苗

昭和に活躍した女優。映画監督・深作欣二の妻。父は藤尾純。東映『仁義なき戦い』シリーズを中心に活躍。

円谷英二

株式会社円谷特技プロダクションの初代社長を務めた特撮監督、映画監督、撮影技師、発明家。昭和における特撮技術の第一人者で「特撮の神様」と呼ばれる。本名は円谷英一。幼少期より飛行機に強く憧れ、操縦士になろうと日本機構学校に入…

杉村春子

日本の演劇界、映画界に多大な足跡を残した大女優。築地小劇場(のちの俳優座)で研究生をしたのち、1937年に劇団・文学座の結成に参加、以後、日本演劇界の中心人物として活躍した。代表作は舞台『女の一生』や映画『東京物語』など…

三原脩

日本プロ野球選手であり監督。 選手時代よりも、「三原魔術」「魔術師」「知将」と賞賛された手腕で、歴史に残る名監督として知られる。 また、晩年は日本ハム球団の球団代表兼代表取締役社長でもあった。

今村昌平

映画監督、脚本家、映画プロデューサー。代表作に『復讐するは我にあり』『楢山節考』『黒い雨』『うなぎ』などがある。早稲田大学第一文学部卒業後、松竹大船撮影所に入社し、小津安二郎の助監督を主に務めた。その後、日活に移籍し19…

田中好子

国民的アイドルとして一世を風靡した3人組「キャンディーズ」のメンバーのひとりで女優としても活躍した。愛称は「スーちゃん」。本名は小達好子(旧姓:田中)。夏目雅子は義妹にあたる。1972年にNHKの歌番組『歌謡グランドショ…

森田芳光

昭和の映画監督、脚本家。 アイドル映画から、ミステリ、純愛、喜劇まど幅広いジャンルの作品を発表して、話題を呼んだ。61歳での早すぎる死は、映画ファンに衝撃を与えた。代表作は『の・ようなもの』『家族ゲーム』『メイン・テーマ…

原田芳雄

圧倒的な存在感と色気、卓越した演技力で観客を魅了した俳優。大の鉄道ファンとしても有名。俳優座養成所を卒業後、フジテレビのテレビドラマ『天下の青年』(1967年)でデビュー。その後、黒木和雄監督の『TOMORROW 明日』…

地井武男

「ちいちい」の愛称で親しまれた俳優、タレント。俳優座養成所を卒業後、岡本喜八監督の『斬る』で映画デビュー。ちなみに、養成所時代の同期には、原田芳雄、林隆三、太地喜和子、前田吟、夏八木勲、小野武彦、村井国夫などそうそうたる…

植木等

高度経済成長時代の昭和を代表したコメディアン。俳優、歌手、ギタリストとしても活躍した。植木演じる破天荒なキャラクターの「無責任男」を主役にした『無責任シリーズ』は大ヒット、国民的スターとして人気を博した。また、歌手として…

松田優作

現在でも絶大な人気のカリスマ俳優。日本人の父と在日韓国人3世の母との間に生まれる。 劇団での下積みを経て、ドラマ『太陽にほえろ!』のジーパン(柴田純)役で人気が爆発。 念願だったハリウッド映画デビューを『ブラッド・レイン…

大島渚

日本の映画監督。1959年(昭和34年)に『愛と希望の街』で映画監督デビュー。以降、体制や権力に真っ向から立ち向かい社会性の高い作品を数多く発表、国内外から高い評価を受けた。代表作に『愛のコリーダ』『戦場のメリークリスマ…

伊丹十三

本名は池内義弘(いけうちよしひろ)。日本の映画監督、俳優、エッセイスト、商業デザイナー、イラストレーター、CM作家、ドキュメンタリー映像作家。ちなみに、本人は名刺の肩書きに「強風下におけるマッチの正しい使い方評論家」とい…

渥美清

コメディアン、俳優。本名は田所康雄(たどころやすお)。 浅草のストリップ劇場にてコメディアンとしてデビュー。フランス座にて、第一線で活躍していたコメディアンの東八郎、関敬六などから技を盗み、座付き作家の井上ひさしとも仕事…

つかこうへい

日本の劇作家、演出家。 1974年に劇団『つかこうへい事務所』を設立。戯曲『熱海殺人事件』にて岸田國士戯曲賞をすると、人気が爆発。戯曲を固めきらず「口立て」とよばれる稽古場で台詞を常に変更していくなど、演劇のライブ感を極…

深作欣二

昭和を代表する映画監督。一部、脚本も務めた。 迫力のある演出が特徴であり、幅広いジャンルで傑作を残し人気を博した。 代表作は『仁義なき戦い』『柳生一族の陰謀』『蒲田行進曲』『魔界転生』『里見八犬伝』『火宅の人』『バトル・…

水原茂

昭和のプロ野球選手、監督。 巨人監督時代、11年間で8度のリーグ優勝、4度の日本一に輝き、名監督として名をはせた。 妻は戦前の映画女優・松井潤子である。

市川崑

昭和から平成にかけて活躍した映画監督。妻は脚本家の和田夏十。 代表作は『ビルマの竪琴』『東京オリンピック』『犬神家の一族』など。

三船敏郎

日本を代表する俳優。 黒澤明監督作品に数多く出演。ふたりがタッグを組んだ作品は世界中で高い評価を受け、黒澤は「三船無くして黒澤無し」との評価を受けた。 また、三船プロダクションを設立し、映画プロデューサー・映画監督として…

勝新太郎

昭和を代表する名優。大映の「二枚看板」のひとり(もう一人は市川雷蔵)。 愛称は勝新(かつしん)。本名は奥村利夫(おくむらとしお)。実兄は俳優・若山富三郎、妻は中村玉緒である。 勝新太郎は俳優としてだけではなく、歌手、プロ…

小津安二郎

日本を代表する映画監督。世界でも高い評価を得ている。 代表作は『東京物語』

マキノ雅弘

日本娯楽映画の礎を築いた映画監督、脚本家。また監督・脚本以外にも、プロデューサーや録音技師、俳優としてもその才能を発揮した。 実父は、「日本映画の父」とおよばれた牧野省三。 生涯で携わった映画作品は、監督作だけで261本…

黒澤明

日本を代表する映画監督。世界でも名を知られる巨匠である。 通称「世界のクロサワ」。