劉曄子揚りゅうようしよう

劉曄、字を子揚といい、淮南郡成悳県の人である。兄は劉渙、子は劉寓、劉陶がいる。漢の光武帝の子阜陵質王劉延の後裔である。父の劉普と母の脩とは、渙と曄をもうけた。劉曄が七歳のとき、母は病気に苦しんだ。臨終のとき二人にいいきか…

曹叡元仲そうえいげんちゅう

204年(206年とも云われる)、文帝曹丕と甄氏の間に生まれた長男。生まれて以来、曹操は可愛がりいつも側においた。220年、数え15歳で武徳侯、翌年に斉公、222年には平原王に封ぜられた。226年、父の文帝・曹丕が病床で…

團伊玖磨

クラシック音楽から童謡、映画音楽、校歌まで幅広いジャンルで今も親しまれる曲を残した作曲家。エッセイストでもあり、1964年から2000年まで『アサヒグラフ』でエッセイ「パイプのけむり」を連載していた。代表曲はオペラ『夕鶴…

藤山寛美

昭和史に残る上方の喜劇役者。松竹新喜劇の看板役者として、20年間1日も休むことなく舞台に立ち続けた。本名は稲垣完治。娘は女優の藤山直美、孫は俳優の藤山扇治郎。「あほの寛ちゃん」の愛称を持つほど阿呆の役を演じれば右に出るも…

中沢啓治

漫画『はだしのゲン』で知られる漫画家。本名同じ。『はだしのゲン』をはじめ、同作の原型となった自伝漫画『おれは見た』など広島で自身が経験した被爆体験をもとににした作品を数多く発表し、戦争の恐ろしさと平和の大切さを訴え続けた…

丹羽保次郎

1928年にNE式写真電送装置(ファクシミリ)を開発した技術者。東京電機大学の初代学長。特許庁が1985年に選定した「十大発明家」のひとり(ほかは、豊田佐吉、御木本幸吉、高峰譲吉、池田菊苗、鈴木梅太郎、杉本京太、本多光太…

御木本幸吉

御木本真珠店(現・ミキモト)を創業し「真珠王」と呼ばれた実業家。1985年に特許庁が選定した「十大発明家」のひとり(ほかは豊田佐吉、高峰譲吉、池田菊苗、鈴木梅太郎、杉本京太、本多光太郎、八木秀次、丹羽保次郎、三島徳七)。…

福田平八郎

日本画家。号は素僊(そせん)。水をテーマにした作品を数多く残している。代表作『漣(さざなみ)』は水面にゆれる波だけを描いた斬新な作品で、それまでの日本画の常識を覆す新しい試みの作品として高く評価されている。なお、同作は福…

寬仁親王

三笠宮崇仁親王と同妃百合子の第一男子である。令和時代における上皇陛下の従弟であり、麻生太郎元内閣総理大臣の義弟にあたる(麻生太郎の妹・信子が寛仁親王妃信子である)。愛称は『ヒゲの殿下』。障害者福祉やスポーツ振興などの公務…

豊竹山城少掾

明治、大正、昭和と長きにわたって活躍した近代屈指の義太夫節大夫。本名は金杉彌太郎(かねすぎ やたろう)。8歳の時に義太夫の修行を始め、1889年、人形浄瑠璃において初舞台を踏んだ。三代目竹本津大夫、六代目竹本土佐大夫らと…

斎藤十一

『週刊新潮』『FOCUS』など数多くの雑誌を創刊した新潮社のカリスマ編集者。社内では「天皇」「怪物」と呼ばれ恐れられたという。1935年、早稲田大学理工学部を中退後に新潮社に入社。同時期に在職した作家・伊藤整が斎藤につい…

蛯名武五郎

戦前から戦後にかけての日本競馬界を牽引したスター騎手、調教師。生涯成績は3907戦846勝。1936年に青森の地方競馬騎手としてデビュー、すぐに公認競馬へ移籍した。1948年に八大競争のひとつ農林省賞典(現・皐月賞)に優…

保田隆芳

戦後の中央競馬を代表する騎手。現在では一般的となった騎乗スタイル「モンキー乗り」をアメリカから持ち帰り、日本競馬界に革新をもたらしたことでも知られる。また、史上初の八大競争(桜花賞、皐月賞、優駿牝馬(オークス)、東京優駿…

野平祐二

「ミスター競馬」と呼ばれた騎手、調教師。生涯成績は7279戦1339勝。父・野平省三、孫・二本柳壮もともに騎手。1944年に騎手免許を取得すると数ヵ月後に初勝利をあげ、1952年、スプリングステークスで重賞初勝利を飾った…

田中康三

戦後、花形ジョッキーとして活躍した騎手、調教師。騎手としての生涯成績は2147戦294勝。1935年に騎手免許を取得し、1941年には秋の天皇賞に優勝するなど活躍したが、戦争の激化を受け競馬は1944年に休止となった。戦…

嵐寛寿郎

「アラカン」の愛称で親しまれた銀幕の大スター。映画プロデューサーでもある。本名は高橋照一。女優・森光子は従妹にあたる。幼い頃から映画が好きで、特にチャップリンやキートンの喜劇映画に夢中だったという。長じて歌舞伎界に入り女…

秋山徳蔵

「天皇の料理番」と呼ばれた料理人。幼少の頃に禅寺に修行に出され、その後、華族会館、駐日ブラジル公使館、築地精養軒の料理長を歴任した。1909年からフランスに渡り、本格的な西洋料理を学ぶ。帰国後は、社交部ラブの草分けとして…

宮澤喜一

第78代内閣総理大臣を務めた政治家。経済企画庁長官、衆参院議員、通商産業大臣、外務大臣、内閣官房長官、大蔵大臣、郵政大臣、農林水産大臣、財務大臣などの要職を歴任した。東京帝国大学法学部政治学科を卒業後、大蔵省に入省、池田…

香淳皇后

昭和天皇の皇后。島津久光のひ孫、久邇宮朝彦親王(中川宮)の孫にあたる。令和時代における上皇陛下の母である。

後陽成天皇

第107代天皇で、在位期間は1586年12月17日から1611年5月9日。 誠仁親王の嫡子で誠仁親王が薨去したため、祖父である正親町天皇から譲位され即位した。こうした天皇嫡孫による即位は後陽成天皇と文武天皇のみ。後陽成天…

前野長康

豊臣秀吉最古参の家臣のひとりで、但馬国出石城主。実名は、坪内光景。幼名は、喜太郎、小太郎。通称は、将右衛門。おもな官位は、但馬守、従五位下。 前野長康は、豊臣秀吉がまだ織田信長に仕えていた頃からの家臣で、蜂須賀小五郎(正…

誠仁親王

第106代天皇・正親町天皇の第五皇子。院号は陽光院。追尊は陽光太上天皇。1568年に親王宣下を受けた。 織田信長とは親密な関係を築いており、信長から二条新御所を献上されそこを屋敷とした。1582年の本能寺の変の際、誠仁親…

正親町天皇

第106代天皇。諱は方仁。 後奈良天皇の第2皇子として誕生し、1557年、父・後奈良天皇の崩御を受けて践祚した。当時、朝廷の財政は非常に逼迫しており、後奈良天皇の葬儀費にも困るほどで資金調達に時間がかかり、後奈良天皇の遺…

山科言継

藤原北家四条家の分家である山科家の公家。 法名は昭言。おもな官位は内蔵頭、正二位、権大納言、従一位。 人脈作りに長け、織田信長や今川義元など多くの戦国大名と交流をもったことでも知られる。また、言継が50年にわたって記録し…

千利休

茶の湯を大成した茶人で、「茶聖」とも称せられ天下三宗匠のひとり(ほかは、今井宗久、津田宗及)。 幼名は与四郎。法名は宗易、抛筌斎(ほうせんさい)。一般的に知られている利休の名は、1585年に正親町天皇から下賜された居士号…

吉子内親王

霊元天皇の皇女で、7代将軍・徳川家継の婚約者。幼名は八十宮(やそのみや)。生後1ヶ月にして、6歳の幼将軍・家継の婚約者となるが、これは幼い将軍・家継の補佐役である側用人・間部詮房(まなべあきふさ)と儒学者・新井白石が家継…

常盤井の局

徳川幕府5代将軍・徳川綱吉時代の大奥女中。右衛門佐局(えもんのすけのつぼね)とも。もともと霊元天皇の後宮に仕えていたが、下級武士の娘ながら綱吉の子を生んだことで大奥で絶大な権力をふるう綱吉の側室・お伝の方を快く思わない公…

近衛信尹

安土桃山時代から江戸時代前期の公家。初名は信基、のち信輔。号は三藐院(さんみゃくいん)。関白・近衛前久(さきひさ)の子として生まれ、内大臣、左大臣と進み関白を望んだが、豊臣秀吉、秀次に関白職を奪われ心を病むようになり左大…

近衛信尋

江戸時代前期の公家。父は後陽成天皇で第四皇子として生まれた。幼称は二宮、法号は応山(おうざん)。本阿弥光悦、松花堂昭乗とともに「寛永の三筆」と謳われた養父・近衛信尹(のぶただ)に書を学び、能書家として知られた。諸芸に優れ…

金森宗和

江戸時代前期の茶人、武士。今日まで続く茶道「宗和流」の祖。名は重近(しげちか)。戦国武将でのちの飛騨高山藩主・金森可重の長男として生まれた。「大坂の陣」に際して徳川方に味方する父を批判したことから勘当され、母とともに京へ…

後水尾天皇

江戸時代前期の第108代天皇。諱は政仁(ことひと)。中宮は2代将軍・徳川秀忠の娘である東福門院和子。第107代天皇・後陽成天皇の第3皇子として生まれるが、徳川家康の皇位継承への介入もあり擁立され第108代天皇となった。こ…

東福門院

江戸時代前期の女性。後水尾天皇の中宮で、859年ぶりの女帝となった第109代天皇・明正(めいしょう)天皇の生母。父は2代将軍・徳川秀忠、母は江。徳川家康の内孫にあたり、豊臣秀頼はいとこ、その妻である千姫は姉。名は徳川和子…

小堀遠州

安土桃山時代から江戸時代前期にかけて活躍した大名。作庭家、茶人としても名高い。備中松山藩2代藩主、のち近江小室藩初代藩主。一般に知られる「遠州」の名は官位の遠江守に由来する通称で、後年は「遠州」と名乗った。幼名は作助、元…

小笠原長重

江戸時代前期から中期の大名、幕府老中。三河国吉田藩の3代藩主、のち武蔵国岩槻藩初代藩主。幼名は兵助、通称は采女、号は峰雲。三河国吉田藩の2代藩主・小笠原長矩の子として生まれ、4代将軍・徳川家綱の小姓となった。その後、奏者…

大原重徳

幕末の尊皇攘夷派の公家。通称は常麿。孝明天皇に重用された。日米修好通商条約調印の勅許を求める幕府に岩倉具視らと反対し、一時、謹慎を命じられた。1862年(文久2)には幕府に政治改革を求める勅使となり、薩摩藩兵に警護され江…

伊達綱宗

江戸時代前期の大名、陸奥国仙台藩の3代藩主。伊達家19代当主で、祖父は“独眼竜”のあだ名で知られる伊達政宗。後西天皇とは従兄弟関係になる。幼名は巳之介。官位は従四位下、左近衛権少将、陸奥守、美作守。伊達政宗の二男・忠宗を…

蠣崎波響

江戸時代後期の画家、松前藩家老。通称は将監、字は世祜、画号はほかに東岱、杏雨、京雨、別号に梅香舎、梅痩舎、柳民舎、滄岡軒。松前藩12代藩主・松前資広の子として生まれるが、翌年に父が他界し兄が跡を継いだため、家老・蠣崎家の…

明正天皇

第109代天皇。奈良時代の称徳天皇以来859年ぶりとなる女帝。父は後水尾天皇、母は2代将軍・徳川秀忠の娘・和子(まさこ)。家康の曽孫にあたる。幼名は女一宮、諱は興子(おきこ)。「紫衣(しえ)事件」や3代将軍・家光の乳母・…

松浦静山

江戸時代中期から後期の大名、肥前国平戸藩の9代藩主。幼名は英三郎、名は清。一般に号の「静山」の呼び名で知られる。隠居後に20年かけて綴り続けた随筆集『甲子夜話(かっしやわ)』の著者として名高い。松浦氏は嵯峨源氏の末流にし…

黒住宗忠

江戸時代後期から幕末の神道家。神道系の新宗教のさきがけとなる「黒住教」の開祖。幼名は権吉、元服後は左之吉、神職を相続後は左京宗忠。備前国御野郡中野村にある今村宮に仕える禰宜の子として生まれ、評判の親孝行者として育った。敬…

池坊専好(2代目)

江戸時代前期の華道家、池坊32世。「立花(りっか)」の大成者として知られる。初名は専朝。当時の宮廷文化の中心的存在だった後水尾天皇(院)の寵愛を受け、宮中立花の指導者として「紫宸殿御立華会」など数々の立花会で活躍、池坊の…

浅野内匠頭

江戸時代前期の武士、播磨国赤穂藩の3代藩主。『忠臣蔵』こと「元禄赤穂事件」での悲劇の若き主君として知られる。官命から「浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)」と通称される。幼名は又一郎。赤穂藩2代藩主・浅野長友の長男として江戸…

徳川秀忠

徳川幕府の2代将軍。幼名は竹千代。別名は江戸中納言、江戸右大将。徳川家康の三男として遠江国浜松にて誕生。母は側室の西郷局。秀忠は三男であったが、長兄・信康が織田信長の命により切腹、次兄・秀康が豊臣秀吉の養子となった(のち…

真木和泉

清河八郎と並ぶ尊王攘夷のアジテーター。また煽動するだけではなくプロデューサーとしてさまざまな計画を立てる。もともとは神官。名は保臣。 藩在籍時は、下級武士や神職、村の役人層の子弟を相手に尊王論にもとづく王政復古策を説き、…

鵜飼幸吉

父は鵜飼吉左衛門。 日米修好通商条約調印を不満に思う孝明天皇から水戸藩に下賜された密勅(戊午の密勅)を、 水戸藩の窓口として受領、江戸藩邸に届けるという大役を担う。(本来は、父・鵜飼吉左衛門の任であったが、父が持病悪化の…

鵜飼吉左衛門

「大日本史」編纂事業に携わる。 孝明天皇が水戸藩に直接下賜した、幕政改革や大老・井伊排斥の命令(戊午の密勅)に関して、水戸藩窓口となる。 このとき、鵜飼は持病が悪化していたので、息子・鵜飼幸吉が受領して江戸藩邸の安島帯刀…

西郷隆盛

薩摩藩の出身。通称は、西郷吉之介。愛称は西郷どん(せごどん)、西郷さぁ(せごさぁ)、うどさぁ。維新の三傑(西郷隆盛、大久保利道、桂小五郎)の一人であり、明治維新最大の功労者。維新後は、軍人であり政治家。薩摩藩内では下級武…

島津忠義

薩摩藩最後の藩主。第12代藩主であり、島津氏第29代当主。藩内の実権は、父であり後見人にである島津久光に握られる。徳川慶喜と同様、明治維新後は多くの趣味を持つ。(写真撮影や花火作り、乗馬など)。孫に香淳皇后(昭和天皇の皇…

島津久光

明治維新時における薩摩藩の実質的な最高権力者。島津斉彬は異母兄。島津忠義は長男。明治維新後は、薩摩藩内にて絶対的な権力を持ち続ける。元家来の西郷と大久保が断行した廃藩置県(明治4年)に激怒し、自宅庭で花火を打ち続けた逸話…